旅行記 6
  
 団塊のバックパッカー
 旅行記

スリランカ 2010/10/03〜10/24


10月18日 ヒッカドゥワ滞在 ゴール日帰り
時起床。
ホテルで朝食を取る事にした。
プールの前にテーブルが並びレストランになっている。
今日は、西洋人シニア男性が座っていた。朝食を食べていたのだ。
スタッフに朝食を頼んだ。
トースト、オムレツ、パパイヤ&バナナ、コーヒーであった。
3日振りに、しっかり食べた。
スタッフが日本人が4人も宿泊していると言っていた。

11時ごろ、ゴールへ行く為ホテルを出た。
バス停まで歩き、バスを待った。直ぐに来た。
ゴール駅前で降りた。約30分、Rs.25であった。
ゴール駅に寄って、コロンボ行きの時刻を調べた。10時55分発がある。
ゴール駅東側のバスターミナルが改装工事中でフェンスで覆われていた。
使い捨てカメラが無いか探す為、工事中のフェンス沿いの店舗に行った。
富士フイルムの看板が目に付いたので入ると、混雑していて奥まで入れない。
平日なのにこの混雑は? インターネットカフェも兼ねている様だ。
使い捨てカメラは、あきらめて旧市街に向かった。

クリケット・グランドが見え、グランド沿いに歩くと前方に石造りの時計塔と砦の高い塀が見えた。
メイン・ゲートをくぐると、右にテニスコートが見た、ロータリーでテニスコート側に曲がり、道なりに時計台を目指した。
時計塔から左周りに城壁を歩いた。


インド洋を眺めながら、城壁を歩く。
スマトラ沖地震の大津波の被害は、新市街では大きく、城壁で囲まれた旧市街は被害が無かった。
この城壁が、昔は海賊から守り、現在は大津波から守ったのか!!!!
岬の先端に灯台があった。


灯台を過ぎると間もなく城壁を歩けなくなった。
町並みを見て歩いたが、オランダ、イギリス植民地時代の建物が残っている。東南アジアには、よくある中国人居住地はここにはない。
1時間ほどで1周出来た。
ゴール駅前のバス停に向かった。

トイレがしたくて駅向かいの公園に入った。
公園事務所前で事務所の人らしき男性にトイレの場所を聞くと事務所のトイレに案内された。
しかし、この男、事務所の人ではなかった。トイレを終え出てくるとパンフレットを取れと言われた。
ここは、観光案内所であった。
いったいこの男何者か?
せっかくなので公園を散策し、売店でコーラーを飲んだ。
観光案内所前にいた別の男が近付いて来て、新市街の観光をしないかと誘ってきた。
4kmほどの距離を回るそうだが断わった。
トックトックの料金は安いと言いたかったのか、1km当たりの料金がいくらだと思う?と尋ねてきたのでRs.50/kmと答えるとその通りだと言って驚いた顔をした。
Rs.50が正解で驚いたのか、そんな安値で乗られたら、あがったりという顔だったのか分からないが離れていった。
観光案内所前にいた男達は、客引きだったのだ。

ゴール駅前からバスに乗った。
小学生低学年の女の子がお母さんに付き添われてバスに乗って来た、下校時間帯の様だ。どこの国も子供は可愛らしい。
ヒッカドゥワに入り、ブザーを鳴らした。コーラル・ガーデンズ・ホテル前で降ろしてくれた。

昨日の磯歩きで見付けたレストランに行った。
入って行くと2〜3匹のロブスター入った水槽があり、テーブルに西洋人が、ぽつぽつと座っていた。
更に奥に行くと西洋人団体さんが食事を終わりくつろいでいた。
その横のテーブルに座った。目の前に海が見え、波が荒かった。
取り敢えず、ビールを頼んで、メニューを見た。
団体さんの精算処理で忙しく、中々注文を取りに来なかった。
ビールを飲んで海を見た。波は、大変大きい。白波の中に小さなトンネルが出来ている。
サーフィンに良い波ではないのか? 同じ宿の日本人サファーは、どうしているのだろう、サーフィンしているのか??
ミックス・スープ・ヌードルを食べ終え、ウェーターに今日の波は大きいのか?と話し掛けた。
波は大きい方だ、先週は、穏やかだったと言っていた。
津波の話を持ち出すと、このレストランの被害状況を撮った写真を持ってきた。写真はラミネート加工されていたがボロボロになっていた。この写真でお客さんと数え切れないほど話したのだろう。
津波は、3回来て段々大きくなっていった、被害はそれほど大きくなかったが、1ヶ月間停電と飲み水には困ったと言っていた。

15時過ぎにホテルに戻った、フロントに洗濯物が出来ているか聞くが、まだであった。
部屋で小説を読み、白夜行(東野圭吾)を読み終わった。
この文庫本は800ページもあり分厚い、未読本で持ち歩くのは仕方が無いが、読書中の本としてディバックに入れて持ち歩くのに不適である。

インターネットカフェで15分ほどニュースを読んだ後、レストランで夕食を取った。
スパゲティーとビールにした。5日間ライスを食べていない。フライド・ヌードル、スープ・ヌードル&スパゲティー等麺類ばかりである。
海外旅行に行き、麺類がある国であれば、後半麺類ばかりになる。

本も残り1冊になってしまった、バンコクまで行けば日本の本が手に入るが、スリランカ滞在も2日間残っており、1冊では持ちそうにない。
20時寝た。

10月19日 ニゴンボへ
7時起床。
バンダーラナーヤカ国際空港に近いニゴンボへ向かう。
ホテル代の支払いにスリランカ・ルピーが足りないかも知れないので、銀行のATMに行く事にした。
部屋を出てまっすぐ出口に向かうと、フロントの横が真っ暗で、そこに何かがある様な感じで凝視しながら近付くと男が座っていた。
大変驚いて朝の挨拶の言葉も出なかった。夜間のガードマンの様だ。
ゴール・ロードを銀行に向かって歩いていると、後から自転車に乗った男にお早う!と言われた、その男はホテルのスタッフであった。
ガードマンを見て驚いた客を怪しいと思って追いかけて来たのか? 妄想か??

ホテルに近い銀行に行ってATMでクレジットカードを使ったが駄目であった。暗証番号が間違っていると出る。
しかたなく、一昨日、キャッシングした銀行まで行き、クレジットカードを使ったが、やはり駄目であった。一昨日は使えて今日は駄目?????訳が分からない?
為替手数料が高い楽天銀行カードを使いたくなかったが、しかたなく使ってRs.10,000を引き出した。
帰り、ビーチを歩いた、ゴール・ロードに戻って歩いていると、また自転車に乗った先ほどのホテル・スタッフにあった。
どう考えても怪しまれて見張られている。荷物を置いたまま、ホテル代を踏み倒して逃げると思われているのか? 妄想か??
1時間ほどの散歩を兼ねた銀行往復を終えホテルに着いた。

9時過ぎチェックアウトの為部屋を出ると、プール前のレストランに3組の西洋人が、朝食を取っていた。嘘のように賑やかで華やかであった。
フロントで支払いをしているとオーナーが、日本語で話し掛けてきた。締めて、3泊、朝食1、洗濯代、ビール1でRs.7,909(6,000円)であった。
日本に帰る飛行機が朝早いので、今日ニゴンボに向かう。電車でコロンボまで行くと話すと、スリランカには電車は無いと突っ込みを入れられた。オーナーはスリランカ人だが日本語が上手い。
ヒッカドゥワ駅から乗ろうかと思ったが座れなかったら困るのでゴール駅から乗ると話した。
ヒッカドゥワ駅からでも座れるが、時間があるならゴール駅まで行けばいいと行っていた。コロンボからニゴンボまではバスが便利だそうだ。
このオーナー、胡散臭い!!

バス停からバスに乗ってゴールに向かった。
10時にゴール駅に着き、10時55分発 コロンボ 2等の切符を買った。Rs.180(140円)であった。
懐かしい硬い厚紙の切符を駅員に渡した、まだ早いという感じで切符を切ってくれた。
改札を入り、左側に売店があったので行った。
ホッドドッグとコーヒーを頼んだ。
奥にテーブルが並んでいたので、ここで飲むのかと聞かれ、そうだと答えると、コーヒーカップに入れてテーブルに運んでくれた。
ホッドックは玉子焼きとラッキョウの様な根菜が入ったスパイシー味で美味かった。

駅員にプラットホームを聞くとあの列車と教えてくれた。
列車の乗車は3回目になっていたので、2等席は見れば分かる様になっていた。しかし、プラットホームから車両を見て2等車両がどれかはまったく判断がつかない。
海側の席になる様に、進行方向に向かって左側の席に座った。窓が独り占めできる特等席だ。
列車は定刻に発車した。
ゴール〜ヒッカドゥワ間は、民家や木々の中にヤシの木が見えるが、海はほとんど見えなかった。
アンバランゴダやベントタでは、ラグーンの景色が見られたが、それ以外は、海から離れたところを列車が走っていた。
海から順に民家、ゴール・ロード(国道)、民家とあり、その次に線路が走っているので、民家や木々の風景ばからいである。
それがカルタカの手前で線路と入れ換わり、ゴール・ロードが内陸側になった為、海が見える様になった。
インド洋の沖合いには大きな貨物船?も見え、ヤシの木も見える。ヤシの木は、ロープで数本を繋いで海風から守っていた。
パナドゥナを過ぎると海が10〜20mまでにせまり、更に波のしぶきがかかりそうになる頃、遠くに高層ビルが見えてきた。それがコロンボであった。
13時30分ごろ、コロンボ駅に着いた。

この列車が、15日前コロンボ駅からアヌラーダプラに向かった列車であった事に気付いた。
スリランカ列車の旅 お薦め景勝区間が3区間あるが、今日のヒッカドゥワ〜コロンボ間で3区間共に乗車した。
クルネーガラ〜アヌラーダプラ間は2日目に乗ったが、後半は日没で真っ暗!!
キャンディ〜バドゥッラ間は、アジアで一番美しい車窓と一部で言われているそうだが、残念ながら窓側の座席に座れず、また区間の半分であるキャンディ〜ナーヌ・オヤ間しか乗車できず、美しい車窓を堪能する事が出来なかった。
今日のヒッカドゥワ〜コロンボ間が、私に取っては最も良かった。海岸とヤシの木、青々とした木々を2時間半、堪能されてもらった。

コロンボ駅からバスターミナルに向かった、暑い、菩提樹を目印に歩いた。
菩提樹まで来ると青空マーケットがあった。ごちゃごちゃしてマーケットが混雑していた。
マーケットを通り奥に行くとバスターミナルがあり、守衛にニゴンボ行きバスはどれか?と聞き、向かった。
車掌にニゴンボ行きか確認して乗り込んだ。
コロンボ市街は、渋滞していた。中心地から外れ渋滞も解消した頃、国道をフォークリフトや耕うん機まで走っていた。
1時間強でニゴンボに着いた。トックトックがたくさん停まっている。

トックトックの運ちゃんが近付いて来る前に食堂に入った。
揚げパン(カレーパン)とコーラーを買って食べた。
食堂のスタッフにホテルエリアまでトックトックの料金はいくらか?と聞いたつもりが、9××と言うので聞き返すと電卓で905を示された。
トックトック代では高過ぎる! いったい何の数字か?
バス乗場を聞き行って見ると空き地で、車掌にホテルエリア行きバスがどれか聞き乗り込んだ。そのバスが905番のバスであった。
地図を見ながらこの辺りだろうとブザーを鳴らした、車掌がまだ降りるのは早いという感じであったが下車した。
歩いてホテルに向かっていると先ほどのバスに乗っていた家族連れが歩いて来た、私は早く降りすぎ、彼らは降りるのに遅れた様だ。
すれ違う時、お互いににっこり笑った!!
16時前に、オアシス・ビーチ・リゾートに着いた。ホテルはレストランFish&Lobsterが玄関で奥にプールが見え、通り抜けるとプール前にフロントがあった。
部屋が空いているか尋ねた、エアコン無し、ホットシャワー、朝食付きでRs.2000(1,520円)との事で1階の部屋を見て決めた。当然エヤコン有りもある。

シャワーを浴びた後、通りを奥に歩いて見た。
ホテルの横にオープンバーがあり、前にはレストランがある、レストラン、ショップが並ぶ。
ヒッカドゥワの様に国道が走っている訳でもないので、のんびりできる。
ビーチに出て見た、長さは何kmあるのか? それよりビーチの幅が広い、波打ち際からホテルの敷地まで100mは無いかも知れないが広い。
ビーチ側の出入口からホテルに戻った。

19時ごろ、ホテルのレストランFish&Lobsterで蟹カレー&ライスとビールにした。
蟹カレーは、タイ料理のプーパッポンカリーとよく似て美味かった。

20時寝た。

10月20日 ニゴンボ滞在
6時30分起床。
散歩に出た。通りには車もほとんど走っていないし、トックトックもまったく停まっていない。
これでは、明日早朝の空港へのタクシーを予約する必要があるようだ。
ビーチを歩いて30分ほどでホテルに戻った。

ビーチが見える庭にテーブルが置かれている。庭にはヤシの木が数本あるだけだ。
その庭で朝食を取った。
トースト、オムレツ、パパイヤ、コーヒーと朝食フルコースであった。
ウエイターが空港までタクシーは要らないか?と言って来た。
先ほど予約が必要だと考えていたところでタイミングがいい。
値段を聞くとRs.1,500(1,140円)との事、ホテルタクシーの安心を買うので、良いかと思い依頼した。
飛行機に乗り遅れてもいけないので高いが予約したのである。

9時過ぎ、ニゴンボの町を目指して歩き出した。30分ほどで着くだろう。
道なりに真直ぐに行くとマーケットがあり、大変賑わっていた。
その横に警察署があり、真直ぐ進むと広いグランドに出た。グランドでは、フットサル?をしていた。
グランドの東側にフイッシュ・マーケット(魚市場)があるので行って見た。
もう10時であるが賑わっていた。ホテルから1時間掛かったことになる。
手の平サイズの小魚ばかりである、カラフルな魚はいなかった。
竹ざるに小魚を入れて、2人で運び込んでいる。
そのまま東に進むと漁民の住居区に入って行った。
竹ざるに小魚を入れて運んだり、大きな魚を2人でかかえて運んでいた。
村を通り抜けると、ラグーンへの入口が見えた。浜が見え、漁船が浜に上げられていた。
岬に行った、海から帰ってくるカタマラン(帆掛け舟)が前を通過して行った、迫力を感じた。

浜の方へ行くと、魚市場に魚を運ぶ者、浜で加工し日干しの為浜に並べる者が大勢働いていた。
道は砦の高い塀に突き当たった、村の中にもどりグランドからラグーンに出た。
ラグーンには、多数の漁船が係留されていた。
ラグーン沿いに歩くと運河に出た、オランダ支配時代に造られた幅10mほどの運河である。
1隻のボートがラグーンから運河に入って行った。
道なりに真直ぐ行くと昨日のバス停に出た。
905番のバスが停まっていたので乗り込んだ。
市街巡回後、ビーチに向かった。このバスは住民の足である、ほんの1kmの距離でも乗って来る。
ホテル前で降りることが出来た。
11時過ぎであった。

午前中の散策であったが、汗だくになった。
10月のスリランカは、思っていたより暑く、汗だくになることが多かった。
海外旅行と言えば日本の冬 1月or2月に出かけていたので、東南アジアでも暖かい程度で、汗だくになく事は、稀であった。
今回汗だくで洗濯回数が多かった、また持って来たホロシャツが、洗濯しても乾きが悪くて困った。

13時ごろ、トマト・サンドイッチとビールを取った。
ポロンナルワやキャンディでは、サンドイッチにポテトフライが付いてきたが、ここでは付いて来なかった。
ビールの摘みにいいのだが断念である。

昼からビールで、気持ちよく昼寝をした。

夕日を見るためビーチに出た。
太陽が大きく感じる。
ビーチを歩いた、海は汚い。
来たビーチを戻るのも、なんなので、道路への小道を探したがない。
大きなホテルを通り抜ける事にした。
大きな顔をしてレストランから入り、ホテル内を抜けて道路に出た。

ホテルに戻り、レストランでエビカレー&ライスとビールにした。
昨日の蟹カレーをエビに変えたカレーである、美味い、日本人が好む味である。
明朝早いチェックアウトなので、今支払ってくれとの事で支払った。宿泊費2、昼食1、夕食2、ビール4、締めてRs.6,880(5,220円)であった。
タクシー代は、明朝でいいとの事。ホテル・タクシーの予約確認をしなければと思っていたが、これで済んだ。
ウエーク・アップ・コールを5時で頼んだ。
朝食をどうするか?聞かれ、コーヒーだけ頼んだ。

ホテルを出てぶらぶらする。隣のオープンバーのカウンター内に、韓国人?の女が数名いた。こんなところにもいるのか!
土産物屋にパソコンが並んでいるのが見えた。夜になると店の内部が良く見える。
やっとインターネットカフェを見付けた。
店員にインターネットを使いたいと話していると、西洋人夫婦が入って来て端のパソコン前に座った。
続いて私が他のパソコンを使おうとすると壊れている事が分かり、西洋人夫婦は、1〜2分で終わると言って申し訳なさそうにしていた。
パソコン5台中4台が故障とは、何なのか!!
30分ほどインターネットを使い、ホテルに戻った。

21時寝た。

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