旅行記 3
  
 団塊のバックパッカー
 旅行記

スリランカ 2010/10/03〜10/24


10月08日 ポロンナルワへ
6時起床。
荷物をまとめ、バックパックに入れた。
7時前に朝食を食べに、レストランに行った。
先客に西洋人男性がいた。
いつもと同じ、トースト、オムレツ、バナナ、そして今日はコーヒーにした。
ベトナムやインドネシアのコーヒーとよく似ているので、スリランカでコーヒーが取れるのか尋ねると、やはり取れるそうだ。
朝食を終え、宿帳の記入と精算を行なった。
3日間分の宿泊費、夕食代&貸し自転車代等で、締めてRs.13587(10,300円)。
宿帳に記入している時、数行上に「謝謝」と書かれているのを発見した。
ホテルのレストランで2日間見掛けた東洋人女性(台湾、中国or韓国の女子学生?)が、台湾or中国人であった。
若い人の日本人、中国人、韓国人の見分けが付かなくなってきた。

流しのトックトックを停め、新バスターミナルまで運賃を聞くと、Rs.150(115円)と昨日と同じだったので乗った。
8時前に新バスターミナルに着き、ポロンナルワ行きバスの前で降りた。
ポロンナルワ行きバスか確認して乗ると、朝食時、ホテルのレストランで見掛けた西洋人男性が乗っていた。
彼に目で挨拶して、運転席後ろの座席に座った。
8時発のバスだと思っていたが、いっこうに出ない、本を読んで待った。
車掌が料金を徴収に来た、Rs.110(83円)を払った。
8時45分になって出発した。
昨日行ったミヒンタレーへの道を途中で右折し南下する。それがミヒンタレーから続くキャンディ・ロード(国道9号線)に合流した。
 キャンディ・ロード


バスは、車をどんどん追い越して行く、車体が一番大きいバスは、怖いもの無しである。対向車が来てギリギリのタイミングの時もある。
小さなトックトックが、最も悲惨である、ハンドルを切って赤土の路肩に追い遣られる。
それを見ていると、恐くてトックトックには乗りたくない。
キャンディ・ロードから離れ東に向かい、40分ほどで大きな街に着いた、横に座っている兄ちゃんにハバラナかと聞くとそうであった。
銅像が立つロータリー(ハバラナ・ジャンクション)とその横にバスターミナルがあった。
ハバラナを過ぎて、直ぐに1車線の舗装状態の悪い道路になった。
こんな道がポロンナルワまで続くのかと思っていたら、20分ほどで新しい道路に替わった。
湖の様な貯水池を何個か過ぎ、12時ごろポロンナルワ旧市街に着いた。
バスを降りると、トックトックの運ちゃんが近付いて来た。
Siyanco Holiday Resortまで、いくらか聞くと要らないから乗れと言う。
「ただほど高いものはない!」ので再度聞いたらRs.20(15円)との事、近いのか?

計画時に、ポロンナルワ旧市街には、そこそこのホテルが無い事が分かっていて、どうしょうか考えていた。
そんな時、スリランカ旅行のブログを読んでいると、Siyanco Holiday Resortが登場した。
そこそこのホテルである事が分かり、このホテルに宿泊しようと思っていた。
しかし、場所が見当も付かなかったのだ。それで、トックトックに乗った。

やはり近かった。バス停から100mほどである。
国道には、面していない、パラークラマ・サムドラ(貯水池)側に回り込んだところにSiyanco Holiday Resortがあった。
トックトックにRs.20を払った。遺跡巡りを誘ってきたが断わる。
部屋を見せてもらった、真新しい綺麗な部屋でホットシャワー、エアコン、朝食付きで宿泊費がRs.3,150との事。
アヌラーダプラで泊まったホテル・シャリニと同クラスだろう、ホテル・シャリニがRs.3,000(2,280円)であったので、同料金にしてもらった。
トックトックの運ちゃんの誘いが、しつこいので、そのまま部屋に入り鍵を掛けた。
荷物を解いてシャワーを浴びようとしていると、しつこい運ちゃんに困ったスタッフがドアをノックした。
ドアを半開きにすると、スタッフとその後に運ちゃんがいた。
遺跡巡りはレンタル・バイシクルで回ると言ってドアを閉めた。
仕舞った、運ちゃんにチップを渡せば良かった。いや、どうせ運ちゃんは、ホテルから紹介料を取るからいいか!!
 部屋


シャワーを浴び、洗濯した。
もう運ちゃんもいないだろうと部屋を出た。
オープンエアーのフロントにスタッフがいたので、貸し自転車を頼んだ。
ホテルは、自転車を持っていない様だ。どこかへ電話をしていた。
アヌラーダプラでも貸し自転車で遺跡巡りをした事を話すと、レンタル料はいくらだったと聞いてきたのでRs.200と答えた。実際はRs.300であったが!!
そうこうする内に、レンタル屋が来た。
ホテル・スタッフが、レンタル屋に何か小声で話している。シンハラ語で何を話しているのか理解できないが、内緒話の雰囲気から私がレンタル料Rs.200で借りた事を話しているのだろう。
日本製自転車を持って来ているとの事で見に行った。日本のママチャリであった。
レンタル料を聞くとRs.500と吹っ掛けて来た。私がRs.200と言うと、Rs.350と言ってきたのでOKした。
ホテルへのマージンRs.50?をのせたのだろう。2日分Rs.700を払った。
スタッフとレンタル屋が遺跡地区は明日に行く様にアドバイスしてくれた。同じ遺跡には1日間しか入れないそうだ。
だから、今日はもう午後なので、遺跡地区以外のポロンナルワ博物館と南部遺跡だけにして、明日、遺跡地区を回れという事である。

遅い昼食にした、ホテルのレストランは、ホテルの規模に比べて広かった。
チーズサンドイッチとコーラーにした。
ビールを飲みたかったが、遺跡巡りがあるので止めておいた。
ツアー客だろう西洋人5人グループが昼食に来た。
広いレストランは、その為のものか! 入口も別で駐車場がある。

また、暑いので部屋で休んだ。
15時前にホテルを出てポロンナルワ博物館に向かった。
ホテルからの道がパラークラマ・サムドラ(貯水池)から流れ出る用水路に突き当たり、その用水路が流れ出るところにポロンナルワ博物館がある。ホテルから300mほどであった。
ポロンナルワ博物館に着いた時、大型バスからスリランカ人団体客が降り、入場していた。
私も入って行くと、受付でこちらへ来いと手招きされた、チケットのチェックであった、周遊券を渡した。
展示場は、混雑していたので奥の空いているところから見て回った。
アヌラーダプラ遺跡で石柱だけが残っているのを多く見かけた。
石柱とは字の如く、石の柱であるが、下写真の様に屋根を支える柱をまったくイメージしていなかった。
しかし、東屋風の屋根付き建物に仏像や仏塔が置かれていたらしい。
 博物館は、写真撮影禁止の為、この写真は、別のものである。


次にパラークラマ・サムドラ(貯水池)の堤上にある道路を南下して石立像&ポトグル・ヴィハーラに向かった。
湖の様なパラークラマ・サムドラを眺めながら自転車のペダルを漕いだ。
しかし、はじめはよかったが、砂利道で後半ペダルを漕ぐのが辛くなり、2kmの距離が長く感じた。
砂利道がパラークラマ・サムドラ湖畔から離れて行き、少しすると駐車場と小さな入口があった。
チケットのチェックも無く、入って真直ぐ行くと左手に石立像が見えた、右手にポトグル・ヴィハーラがあるが木々で見えない。
先にポトグル・ヴィハーラに行った、100mほど行ったところにあった。
昔の図書館らしく、上空から見れば鍵穴型になっている。奥の部屋が円形だ。
伽藍が分かる状態で残っている。石柱も数ヶ所で残っており、仏教経典の保管庫だったのか???
 ポトグル・ヴィハーラ




石立像は、白い岩に彫られている。周りに何も無くポツンという感じである。
裏に回ると白い岩より大きな普通の色をした岩があり、白い岩に違和感を感じた。
 石立像


来た道を帰らず、新市街と旧市街を結ぶ道路を走り、田園や村を通った。
旧市街に国道が直角に曲がるところがあり、ロータリーになっていて、そこに出た。
ここが旧市街の中心地である。
ここからバスターミナル方向に行くとガソリンスタンドがあり、その横にスーパーマーケットらしき店があったが鍵が掛かっていた。
歯磨きがほしいのだが!!
17時ごろ、ホテルに帰った。

日が暮れてレストランに行った。
メニューを見ていると、ヌードルがあった。スリランカにも麺類があるのだ!
ミックス・フライド・ヌードルとビールを頼んだ。
ビールを飲んで、本を読んで待った。
チャーハンの様にドーム状に皿に盛ってフライド・ヌードルが運ばれて来た。
はじめてフライド・ヌードルを料理した様な雰囲気だ。
3人が取り囲んで、私が食べているのを見て、どうや?と言っている、OKと答えると安心していた。
しかし、食べ続けるには、塩辛い。
スリランカのヌードルは、そうめんの様に細い麺であった。

部屋に戻り、蚊取り線香を点けた。
スリランカの蚊取り線香は、10時間も使える。一晩点いたままである。日本製は、短く一晩もたない。
21時に寝た。

 ポロンナルワmap クリックで拡大

10月09日 ポロンナルワ滞在
6時起床。
7時前にレストレンに行ったが、まだ開いていない。
しかたなく散歩に出た。
国道に出て見た、バスターミナル方面に歩くとガソリンスタンドの横にバス停があった。
ハバラナ方面行きのバスを待つ客が大勢いた。
明日、ハバラナ経由でダンブッラに行くがこんなに混雑しているのか!!
小さな雑貨屋の前を通ると細長い箱が積まれてのに気付き、これは、何か?と聞くとツースペーストとかえってきた。
やっと練り歯磨きを手に入れた。Rs.55(42円)
昨日まで、歯ブラシだけで歯磨きをしていたが練り歯磨きも使える。
ホテルに戻り、朝食を取った。
トースト、スクランブルエッグ、ジュース、パパイヤ&バナナ、紅茶であった。
スクランブル・エッグに味がない!!!
毎日同じであるが飽きない。しっかり食べた。

8時前にホテルを出て、遺跡地区入口に向かった。
ママチャリで国道の側道をハバナラ方向に数百m走り、入口に着いた。
開閉バーがあり職員がいて、チケット・チェックをしていたので周遊券を渡した。
ゲートから真直ぐ地道を行くと南北の地道に突き当たる。
右に曲がると城壁があり、昔、門があったのだろう入口を入る。
木々の中を進むと駐車場の様な広場に出た、そこから宮殿跡が見えた。
 宮殿跡  クリックで拡大

7階建ての建物だったそうで、今は3階の壁しか残っていないらしい。
どんな建物だったのか想像もつかない。
この一帯を歩くと、東の城壁の外に沐浴場があった。その横に売店があり用水路沿いの一般道に繋がっていた。ここから入れるではないか??
 沐浴場


沐浴場の北に閣議場の跡があった。多くの石柱が残り各大臣の名が彫られているそうだ。
 閣議場の跡


遺跡地区入口からの道まで戻り、北に直ぐのところにアンコールワットで見かける寺院とよく似たヒンズー教寺院があった。
 シヴァ・デーワーラヤNo.1

寺院奥の部屋にリンガがあった。
四角形の石を石積みしているだけの壁は、すき間があき崩れ掛けていた。クスコのバターナイフで切ったような多面体の石を石積みしていたら崩れないのだろうと思い巡らした。

更に進むと直ぐにクワドラングルが見えた。
 クワドラングルmap クリックで拡大

トゥーパーラーマが南入口との事で、そこから入ろうと思っていたが、入口がない。
運ちゃん付き客は、シヴァ・デーワーラヤNo.1から木々の中を歩いていた。
戻って私もそうしょうかと思ったが、見学後、そこまで戻らなければないので止めた。
売店が並ぶ広い駐車場に出た、その前にクワドラングルへの階段があり、そこから上がった。
クワドラングルは、シンハラ王朝時代に仏歯寺があったところで仏教の中心地であったそうだ。
 ワタダーゲ  クリックで拡大


 ハタダーゲ

先ほどのヒンズー教寺院の石積みが崩れかけっていたが、ここハタダーゲの壁には、6面体の石が使われ石積みされ、その為か崩れはなかった。

 小仏像とアタダーゲ  クリックで拡大


 ラター・マンダパヤ  クリックで拡大


 トゥーパーラーマ


 ガルポタ


北に300mほど行くと十字路に出る。そこを右に曲がって悪い地道を400mほど行くとタミル人が建てたシヴァ・デーワーラヤNo.2があった。
 シヴァ・デーワーラヤNo.2


シヴァ・デーワーラヤNo.2の横が城壁になっていた。
城壁は、この辺りが北端と東端で、南に約1,700m、西に800mを囲んでいたが、良い保存状態で残っているのは、この辺り北部だろう。
 城壁


十字路からシヴァ・デーワーラヤNo.2に来る途中の右手にパバル・ヴィハーラがある。
 パバル・ヴィハーラ


十字路に戻り、北上を続け城壁門跡を通り抜けると木々と道の両側に遺跡基壇が続いた。
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城壁門跡から700mほどで大きな仏塔が見えて来た。ランコトゥ・ヴィハーラである。
ママチャリを降り、階段前で靴を脱ぎ、靴は階段下に置いておいた。
裸足で仏塔の周りを歩き、写真を撮っていると西洋人女性とガイドがやって来た。
彼らは、手に履き物を持っていた。置いておくと野猿に持って行かれるのか???
そうではなかった、北方向に通り抜けるのでサンダルを持っていたのだ。
 ランコトゥ・ヴィハーラ  クリックで拡大


 ランコトゥ・ヴィハーラ&ランカティラカmap
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ランコトゥ・ヴィハーラから北方向に通り抜けると遺跡の中の雰囲気の良い通りが続いている。
ママチャリで入っても良いのか?
靴とママチャリを取りに戻ると、その方向に木々の中をバイクが入って行くのが見えた。
私も自転車で後に続いた。


この通りはランカティラカやキリ・ヴィハーラに続いているが300mほどでT字路に突き当たった。
突き当りには階段があり徒歩では通行できる。
ママチャリを担ぎ上げ様かと思ったが止めて戻った。
通りの途中でアイスクリーム売りに会い、自転車で通り抜けられないのか聞くと抜け道はあるそうだ。
仏塔のランコトゥ・ヴィハーラまで戻り、道路を北上した。
ランカティラカやキリ・ヴィハーラがありそうなところに進入路があったので、自転車を置いて歩いて進んだ。
沐浴場があり、階段を上がるとランカティラカが見えた。
 ランカティラカ  クリックで拡大


ランカティラカの隣に木々の間から仏塔が見えた。キリ・ヴィハーラである。
 キリ・ヴィハーラ  クリックで拡大


ランコトゥ・ヴィハーラからからランカティラカ&キリ・ヴィハーラは、綺麗に整備された遺跡公園の様になり雰囲気の良い散策コースである。

北に進んでいた道路が西に曲がるところに池が見え、その先にガル・ヴィハーラがある。
自転車で前まで行った。チケット・チェックがあった。
靴を脱ぎ、裸足で歩くが砂地の地面が熱い。慌てて影に入る。
涅槃像、立像、坐像の3体の前で拝んだ。
 ガル・ヴィハーラ  クリックで拡大


道路に戻り少し行くと多くの売店が並んでいた。
休憩の為、寄ってコーラーを飲んだ。
西へ直進すれば出口であるが、右折して北に向かった。
これまでは、ほとんど平坦な道路であったが、この道は自転車では少しきつい。
道路から100mほど入ったところに、ぽつんと蓮の池があった。
 蓮の池


更に北上すると坂道がきつく、自転車を押して歩かなければならなかった。
ティワンカ・ピリマゲ寺院で道は終わった。
ティワンカ・ピリマゲ寺院は工事中で、ここまで来た甲斐が無かった。
 ティワンカ・ピリマゲ寺院


これで、ポロンナルワ仏教遺跡巡りが終わった。
12時30分ごろ、ホテルに戻った。
8時前にホテルを出たので、約4時間の遺跡地区巡りであった。

シャワーを浴び、ビールを頼んだ。
ビールを飲みながら本を読んでいると寝てしまった。
4時ごろ目覚めた。また、本を読んだ。
昼食を食べていないが夕食まで辛抱できそうだ。
夕方、夕日が見られるかも知れないと思い、湖の様なパラークラマ・サムドラ(貯水池)に行った。
しかし、すでに遅かった、太陽は雲の中に沈んでいた。


夕食を取りにホテルのレストランに行った。
ビールを頼み、メニューを見ていると、スタッフが何を注文されるのか心配している風であった。
昨日、フライド・ヌードルを注文してあの状態だったので!!!
フライド・ライスを頼むとスタッフは安堵した様に見えた。
このホテルのレストランは、私にとってはもう一つであった。
食事が終わると、明日の朝食の時間を聞かれ、7時と言いかけると7時30分と言われてしまった。
朝に弱いホテルの様だ。施設は新しく綺麗にしているが、サービス面はゲスト・ハウスである。

21時に寝た。

10月10日 ダンブッラ、シーギリヤへ


6時起床。
荷物をまとめ、バックパクに詰めた。
朝食が終われば、いつでもチェックアウトできる様にして、7時30分にレストランに行った。
トースト、オムレス、、ジュース、パパイヤ&パイナップル、今日はコーヒーにした。
食後、チェックアウトした。
2日間の宿泊費と夕食代&ビール代で締めてRs.8,255(6,230円)であった。
トックトックを呼んで貰った。
一昨日の貸し自転車屋が来て、携帯電話で話している。
貸し自転車屋だと思っていた男は、携帯電話1本で何でも手配する手配師か?
間もなく、トックトックが来た。
バスターミナルまでの運賃は、トックトックの運ちゃんと交渉しろとの事で聞くとRs.500と言う。
交渉でRs.300(230円)から下がらなかった。
距離からRs.200が妥当な運賃だが、ホテル&手配師と入れば仕方ないか!
8時30分ごろバスターミナルに着き、9時に出発した。混雑している。
旧市街のバス停では、乗れない人もでた。
バスターミナルまで行ったお蔭で座れている。
10時45分ごろダンブッラに着いた。
トックトックの運ちゃんに声を掛けられ、ダンブッラ・レストハウスまで運賃を聞くと、Rs.100との事。
リーズナブルな運賃で一発OKでこのトックトックに乗った。
運ちゃんの知っているゲストハウスG.H.に連れて行かれたが、ダンブッラ・レストハウスへ行けと指示した。
ダンブッラ・レストハウスに着くと西洋人団体がいた。
フロントで部屋が空いているか聞くと満室で駄目であった。満室で断わられる事は稀有な事だ。
ダンブッラで、そこそこのホテルはダンブッラ・レストハウスだけである。
トックトックの運ちゃんが、静かなゲストハウスG.H.があるとの事で行ったが、田んぼの中のG.H.でホットシャワーが無いので断わる。
運ちゃんにホットシャワーのあるG.H.はダンブッラには無いと言われた。
ガイドブックにホットシャワー付き部屋がある事になっているヒーリー・ツーリスト・インに行って貰った。
ヒーリー・ツーリスト・インは、最初に運ちゃんに連れて行かれたG.H.であった。
はじめに案内された部屋は、水シャワーで、ホットシャワー付き部屋を見せて貰い、Rs.2,000(1,520円)でOKした。
古く暗い部屋でRs.2,000は、高いと思うが、値段交渉が億劫になってきたので簡単にOKしたのだ。
ただし、2泊の予定を1泊のみにした。そこそこのホテルであれば2泊して、ゆっくりするのだが!!
予定変更、今日午後、シーギリヤに行き、明日朝、ダンブッラ石窟寺院を見て、その足でキャンディに行く事にした。
部屋にバックパックを置いて、シーギリヤに行く事にした。
運ちゃんに、シーギリヤまでいくらか?と聞くと、Rs.600(455円)との事。
運ちゃん曰く、ローカル・プライス、安いと言いたい様だ。
決して吹っかけていないのでOKした。ただし、つり銭を持っているか確認した。
トックトックは、ガソリンスタンドに寄り、ガソリンを入れた。その時、スタンド・スタッフに両替を頼めと言われRs.1,000札を両替して貰った。

12時前にシーギリヤに着いた。ダンブッラから45分ほど掛かった。
運ちゃんに帰りも乗らないか、2時間、ここで待つと言われたが時間に拘束されるのが嫌で断わった。
チケットは持っているのか? チケット・オフィスは、後ろにあると教えてくれたが持っていると言って別れた。
メイン・ゲートのチケット・チェックで周遊券を見せ、蓮の水路(堀)を渡った。
今日は、日曜日でスリランカの家族連れや若者グループで混雑していた。
木々の中にシーギリヤ・ロックが見えて来た。


 水の広場からのシーギリヤ・ロック  拡大


頂上まで高さ180mを階段で始まった。
 シーギリヤ・ロックへの登り口


階段を登り高度を上げて行くとミラー・ウオール(濃いベージュ色)と美女のフレスコ画への螺旋階段が見えて来た。
 ミラー・ウオールと美女のフレスコ画への螺旋階段  クリックで拡大


螺旋階段を登った。鮮やかな色彩と妖しい姿態の美女の壁画が残っていた。
写真撮影時のフラッシュ禁止であった。スタッフが監視していた。
 美女のフレスコ画  クリックで拡大


螺旋階段を降りる。
螺旋階段はフレスコ画を見に行く為の階段であった。
ミラー・ウオールは、絶壁をトラバースする只の通路だと思った。
絶壁を横切ると広場に出た。ライオンの足が門となった登り口がある。
 ライオンの入口  クリックで拡大


急な階段を一歩一歩登った。
やっと頂上に着くと座り込んでしまった。
頂上から360度見渡せる。
ここからの絶景を見て疲れも取れる。
 頂上からの眺望  クリックで拡大


こんなロックの頂上によく宮殿を造ったものだ。狂気の王が造ったそうだ。
 王宮跡


 王のプール


帰りはライオンの入口までは、来た道を引き返した、ただし下り専用階段で降りる。
ライオンの入口から絶壁を横切るのではなく、下り専用階段でひたすら階段を下った。
麓の木々の中を登り口に向かった。
蓮の水路(お堀)の写真を撮りたくてメイン・ゲートに向かった。
来た道を戻り、水の広場で写真を撮った時、デジカメの電池が切れた。
いつもなら、予備の電池を持っているが、補給し忘れ持っていない。残念!!!

しかたなく、お堀の側を歩いてバス停に向かった。
バス道が見えて来た。
今、14時だ、若いスリランカ青年2人が私を追い抜いて行った。
彼らがバス道に着くと同時にバスが来た。
私は、100mほど手前だ、バスに乗れなかった。
彼らが乗った所はバス停ではない、そこから100mほどにシーギリヤ・レストハウスがあり、その前がバス停である。
バス停を通り越し雑貨屋に入り、コーラーを飲んだ。
乾電池単三を売っていたので買った。
次のダンブッラ行きバス時刻を聞くと15時との事。
お堀まで行くのは遠いのでシーギリヤ・ロックが見えるところまで行って写真を撮った。

バス停に行くと、「From?(どこから来た?)」、日本と答えた。
スリランカでよく話し掛けられるのは、「From?」である、「Where are you from?」を単にFrom?と声を掛けてくる。
毎日放送のテレビ番組「ちちんぷいぷい」に「道案内しよう!」と言うコーナーがあり、大阪駅前で道に迷っている外国人との会話で、同様に「From?」と聞くと外国人は国名を言ってどこから来たか答えている。
それとまったく同じであった。「From?」で通じる。
現地の人がバス待ちで座っている女性は日本女性だと教えてくれた。
日本の方ですか?と声を掛け、日本のどこからですか?と聞いた。
大学院生でインターンシップでコロンボのJICA(国際協力機構)に1ヶ月いるとの事。
残り1週間の滞在で、日曜日の今日、はじめての観光にシーギリヤを選び、日帰りで来たそうだ。
スリランカでは、JICAが活発に活動している様だ。私もJICA関係者と間違われた事がある。
バス停にいたトックトックの運ちゃんが、ダンブッラまでトックトックで行けば早く着くから2人で乗らないか誘って来た。料金は、Rs.600と言っていた。来る時と同料金で協定価格がある様だ。
時計を見ると15分待てばバスが来るので断わった。
ダンブッラ行きバスが来て乗った。
就職活動が大変ですね!と話すと、就職が決まらず、院生になり今回インターンシップに逃げ込んでいると話していた。
私達の時代も、ドルショック&石油ショックで就職が決まっても自宅待機があったり、仕事が無く掃除ばかりしていた時期があった事を話した。
バスは45分ほどでダンブッラのバス停に着いた。時間的にはトックトックと変われない。
ここで別れ、私は、ヒーリー・ツーリスト・インまで2kmを歩いた。

 ヒーリー・ツーリスト・イン付近 

本来ならバスターミナルがあるのだろうが、コロンボ、クルネーガラ行きバス停は、道路沿いにある。私には、どこがバス停かわからない。
すぐに時計台があり、右斜めにコロンボ、クルネーガラへの国道が分かれていた。
まっすぐに進んだ。国道の反対側を同じ方向に西洋人男性が歩いていた。
バスターミナルがあり、キャンディ行き乗場を捜したが無い、案内所で尋ねると案内してくれた、それは国道であった。バスターミナル内にバスが入る事無く、バスターミナル前がバス停であった。
更に歩くと野菜を積んだトラックが大渋滞していた。それは野菜マーケットまで続いていた。
ヒーリー・ツーリスト・インに着いた、バス停から30分ほどであった。

玄関の椅子に男性が座っていた、日本語で話して来た。G.H.のスタッフか?
ビールを頼み、フロントのソファーに座った。
ビールを飲みながらスタッフと日本語で話した。
野菜を積んだトラックで渋滞していたと話すと、これから野菜マーケットがオープンし朝まで取引をするそうだ。この一帯(ポロンナルワも含む)の野菜がここに集まるそうだ。
西洋人男性が戻って来て、私達の話に加わった。彼は先ほど道路の反対側を歩いていた男であった。
フランス人でタイに行く途中でスリランカに寄ったそうだ。
タイのチェンマイに奥さんがいてネールサロン?をしていて、そこへ行くそうだ。奥さんの単身赴任か?
遺跡には興味が無いらしく、東海岸のトリンコマリーに小さなビーチがあり、明日、そこに向かうと言っていた。
ガイドブック「地球の歩き方」の地図を出してトリンコマリーを捜していると、「地球の歩き方」に興味を示し、渡すとぱらぱらと見て写真が多いんだと言っていた。
私は、この本が無ければ海外に行けないと言った。
日本人以外は「ロンリープラネット」を持っている事が多い。
「地球の歩き方」と「ロンリープラネット」の違いは、情報量に関していえば「地球の歩き方」は足元にも及ばないらしい、しかし「地球の歩き方」は写真が多い。
G.H.の奥さんが夕食は隣で食べてくれといって来た。今日は日曜日なので仕事がしたくないのか???

部屋に戻り、シャワーを浴びた。
湯沸かし器からお湯が出るが、いたるところから洩れ出た。湯が出るだけでもましか!!!
少し休憩した後、夕食に行った。
奥さんが隣で食べてくれと言っていたが、隣に何があるのか?
外国人向けの大きなレストランであった。
西洋人親子、娘&父親が食事をしていた。
ビールとスパゲティを頼んだ。
ウェイターに聞くと、ここはホテルだそうだ。ここに泊まれば良かった。

20時に寝た。

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