旅行記 2
  
 団塊のバックパッカー
 旅行記

スリランカ 2010/10/03〜10/24


10月05日 アヌラーダプラ滞在
7時起床。10時間も寝た。
ホテル裏のヌワラ・ウェワ(ヌワラ貯水池)に散歩に出た。
プール横の庭先からヌワラ・ウェワの畔に出た。
湖畔を歩いた。天気が悪い。
ヌワラ・ウェワから流れ出る川で、道は行き止まりになった。
そこに野猿がいた。こんな所に猿がいるのだ。
 ヌワラ・ウェワ 


旧市街の中心地に行って見たが、旧バスターミナルがあった、小さな間口の店が道路沿いにたくさん並んでいる。
まだ朝早いので開店している店は少ないが、スーパーマーケットらしき店もコンビニも見当たらない。
スリランカには、スーパーもコンビニもないのか??
歯磨き、ヒゲそりと蚊取り線香を買いたいのだが!

ホテルに戻り、虫除けスプレーを足や腕に着け、朝食に行った。
トースト&紅茶、オムレス、バナナ&パパイヤが出て来た。
トーストの耳を食べると歯茎が痛むので耳だけを残した。ウェイーターが不思議がっていた。
本場のセイロン紅茶を飲んだが、美味しいとは思わなかった。
私には紅茶の味が分からないのか?
朝食をしっかり取った。

雨が降って来た。間もなく土砂降りになった。
荷物を入れ替えた。トレーナーや長袖Tシャツをバックパックの底に入れ、使用頻度の多い物や貴重品をデイバック(小型リュックサック)に入れ替えた。
虫除けスプレーも虫刺されクリームもデイバッグに入れた。
まだ、雨が降っている。

雨が上がったのでチェックアウトした。
朝食付き1泊US$55と言っていたのでUS$払いかと思っていたらスリランカ・ルピーで請求された。
クレジットカード払いが可能であったのでカードで支払った。
トータルRs.6729(5,132円)であった。昨夜の食事代は、サンドイッチRs.290(220円)、スープRs.190(144円)、ビール大瓶Rs.250(190円)であった。

チェックアウトし今日はホテル・シャリニに宿泊する積もりだ。
1kmもないので歩いて行くつもりでフロントを出ると、トックトックが待っていた。
行き先を聞かれたので答え、いくらと聞くと、Rs.100と言ってきた。
運賃Rs.50/kmからすると高い、「ノー サンキュー!」と言って歩いた。
トックトックが追いかけて来てRs.60と言うので、歩くつもりだったが乗ってしまった。

ホテル・シャリニに着いた。どこがフロントか? うろうろしていると若いオーナーが現れた。
部屋を見せて貰った。
靴を脱ぎ、大理石風床を進む、キングベッド、鏡付き箪笥&荷物台があるだけのシンプルな部屋でまだ新しく綺麗であった。
天井ファン、エアコン、テレビ、ホットシャワー付きで宿泊費を聞くとRs.3500との事。
ガイドブックを出してRs.2500となっていると言うと、テレビでNHK国際放送が見れるし、朝食付きだと言う。
何泊するのか聞かれ、3泊と答えると、Rs.3000(2,280円)に下がった。
朝食付きでRs.3000なら納得しOKした。
Temple(寺院)をタクシーで回らないかと誘ってきた。
Temple? 遺跡の事か!
彼らは、仏教遺跡を「Temple」と言った。今でも祈りの対象なのだ!!!
貸し自転車で回ろうと思うと伝え、貸し自転車があるか聞くとホテルにあるとの事で、レンタル料を聞くとRs.300(230円)であった。借りる事にした。

荷物を解いて、洗濯後に、早速アヌラーダプラ巡りに出掛ける事にした。
オーナーに貸し自転車を持って来て貰った。マウンテンバイクであった。
ブレーキの効き具合、タイヤの空気と点検して渡してくれた。アドバイスとして、鍵のキーは抜いておけとの事。

先ずは、アヌラーダプラ遺跡地区の南端付近にあるイスルムニヤ精舎に向かった。
途中、アヌラーダプラのメインストリートに寄ってみた、ガイドブックの地図にスーパーとあったので行って見たのだ。
しかし、見付からなかった、レストランor食堂も探すと1軒だけ、中国語漢字の看板のある食堂があった。
遠回りしたがイスルムニヤ精舎に向かった。

 新市街の外れにあるロータリー 


のんびりとぺタルを漕いだ。
イスルムニヤ精舎が見えて来た。
正面には蓮池があり、それを回り込んでイスルムニヤ精舎に進む。


入場料Rs.100(76円)を払い、靴を脱げと言われ、裸足になって入った。
仏教遺跡見学のエチケットというのがあり、服装は、短パン、ミニスカートは駄目、聖地内は裸足(靴下OK)、脱帽だそうです。
ロック・テンプルとも言われ、大岩をくり貫いた御堂や仏像&涅槃像を安置された本堂、発掘物を展示している宝物館を見て歩いた。
裸足でもそれほど痛くなかった。
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裏側からロック上に登れ、周りを見渡せる。
 市街地方面の風景  クリックで拡大


 裏側ティッサ・ウェワ(ティッサ貯水池)方向の風景


次にスリー・マハー菩提樹に向かったが、道に迷った。
池のある交差点に来た、警官or兵士が多い、スリー・マハー菩提樹方向だろう道は、警官or兵士は警備し通行止めになっている。
警官or兵士に呼び止められ職務質問?された、どこから来た?、職業は?
何故か?年齢を聞かれ、答えると目をむいて驚かれた!!! 
若く見られた様だ。マウンテンバイクを乗ってうろうろしているからだろう。

気が付いたら、考古学博物館の横に来ていた。
遺跡見学のチケット売場がここにある。
チケット・オフィスがあるのかと思っていたら、守衛室がチケット売場であった。
アヌラーダプラ、ポロンナルワ&シーギリヤの主な遺跡巡りが出来る周遊券Rs.5750(4,360円)を購入した。
考古学博物館を見学したが、たいした物は何も無かった。
スリー・マハー菩提樹への行き方を聞くと、予測していた方向とは逆方向を指示された。
バサワックラマ・ウェワ(貯水池)に出た。
大きな白い仏塔が見えたので言って見るとルワンウェリ・サーヤ大塔であった。
自転車も乗入れ禁止であった、自転車を駐車場に置き、歩いた。
真直ぐな歩行者専用の石畳の道がスリー・マハー菩提樹まで続いている。
石畳の道を100mほど入ったところが、ルワンウェリ・サーヤ大塔の入り口があった。
靴預かり所があり靴を預けた。
若い韓国の4人組みがチェックポイントで、短パンを指摘されサロンを借りて巻いていた。
服装チェックが厳しい様だ。
仏塔の手前に石柱が並んだところがあり、僧院があったそうだ。
 ルワンウェリ・サーヤ大塔  クリックで拡大


そこを通り抜けると象が並び、階段を上がると白い大きな仏塔が立つ。


 高さ55mのルワンウェリ・サーヤ大塔(人が小さく写っている。)


大勢のスリランカ人がお参りに来ていた。
靴預かり所に戻り靴を受取った、料金は決まっていない、チップである。Rs.40(30円)を渡すと喜んでいたので、Rs.20が適当だと思った。

スリー・マハー菩提樹に行こうとするが、なかなか行き着かない。
乗り物が入れないので周りを大回りしている感じである。
ゆっくり風景を見ながら自転車を漕いだ。
旧市街からスリー・マハー菩提樹に続く真直ぐな道路に出た。
ゲートがあり、その横に土嚢(どのう)を積上げた塹壕(ざんごう)があった。
兵士or警官が立っていたので、アーミか?と聞くとポリスと返ってきた。
自転車で通ろうとすると、駐車場に置いてこいと言われた。
歩いた、真直ぐな道の先にスリー・マハー菩提樹がある、遠く感じる。
スリー・マハー菩提樹は、高い金網フェンスに囲まれていた。
入口に犬が数匹うろついていたので、出口から入ろうとすると、警官にこっちに来いと言われた。
ドッグ!と言うと笑われた。
ここにも女性警官を含め3人もいて、荷物チェックをしていた。
やっと、門に着いた、ここにもチェック小屋があり、その前に靴を脱ぎ小屋に入った。
セキュリティが厳重だ、如何にスリー・マハー菩提樹が重要かを表している。
白壁に囲まれ、鉄柵の中に菩提樹はあった。
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仏陀が悟りを開いたインド・ブッダガヤの菩提樹の分け木をここに運び植樹したと言われている。
アヌラーダプラを仏教の聖地として位置付けているのがこのスリー・マハー菩提樹であるそうだ。

東南アジアでいくつかの菩提樹を見てきたが、それぞれ違いがあり、インド・ブッダガヤの菩提樹がどんなのかと思っていた。
これがインド・ブッダガヤの菩提樹の葉である。


今日は、イスルムニヤ精舎とスリー・マハー菩提樹のアヌラーダプラの南側だけを少し回ろうとしたが、道を間違えアヌラーダプラ遺跡地区の半分以上を回ってしまった。
11時ごろから2時ごろにはホテルに帰れるだろうと考えていたが、夕方になってしまった。

18時にホテルのレストランに行った。
2階の雰囲気のよいレストランである。
台湾、中国or韓国の女子学生?の先客が1人来ていた。
カレーのコース料理Rs.750(570円)を頼んだ。ライオン・ビールRs.300(230円)も注文した。
ビールを飲んでカレーを待っている時、蚊が腕に止まろうとしてUターンするの偶然に見た。
虫除けスプレーをかけて来たので、その効果の凄さに驚いた。まったく蚊に刺されなかった。
中央部のテーブルを繋げて長いテーブルに配置し、皿やナイフ&フォークを並べていた。
パーティでもあるのかと尋ねると、アヌラーダプラで最も大きなホテルに宿泊するのイングランドの客20人が、夕食に利用するそうだ。
このレストランは、アヌラーダプラでNo.1だと自慢していた。
カレーのコース料理が運ばれて来た、器に入れられた6品が並べられた。
カレー味はその内の3品ほどで、他は豆料理や酸っぱい野菜(漬物みたい)であった。
ライスにかけて食べた。大変、大変美味い。
外国人向けにアレンジされ、スパイスも効いていない。
1品づつライスにかけて食べていると、オーナーがカレー味の3品をライスにかけてくれ、ミックスして食べる様に言われ、やってみると更に美味しくなった。
どれも日本の味と変われないので、ジャパニース・フードと言ってしまった。

部屋に備付の蚊取り線香をたき、20時には寝てしまった。

アヌラーダプラ map  クリックで拡大


10月06日 アヌラーダプラ滞在
6時起床。外が明るくなったので起きた。
7時にレストランに行った。
昨夜、ここで見た東洋人女子学生が朝食を取っていた。
朝食は、トースト、オムレツ、バナナ、コーヒーor紅茶でコーヒーにした。
東洋人が朝食を終え出て行った、入れ違いに西洋人夫婦が上がって来た。
朝食は、しっかり食べた。
若いオーナーだと思っていたが、そうではなかった。そのスタッフが今日はトックトックでTemple巡りをしてはどうかと言ってきた。
昨日、レンタル・バイシクル(貸し自転車)で回ったので、今日は、筋肉痛で再度自転車で回る事など出来ないだろう予測していた。
しかし、体はどうもなく、のんびりと風景を眺めながら自転車で回るのに心地良さを感じ、今日も自転車にする事にした。
スタッフに今日も貸し自転車で回る事を伝えると、元気だと驚いていた。

8時20分にホテルを出た。
今日は、昨日の続きでルワンウェリ・サーヤ大塔以北をまわる。
スリー・マハー菩提樹まで来たところでルワンウェリ・サーヤ大塔へ向かわず、昨日とは別の道を北に向かった。
右手に巨大な茶色いダーガバ(仏塔)が見えて来た。ジェータワナ・ラーマヤであった。
仏塔だけでなく、僧院?の跡がたくさん見える。
行ってみようと思うが、川があり自転車では渡れなかった。
 ジェータワナ・ラーマヤ


三叉路に出た、道標に従いトゥーパーラーマ・ダーガバに向かった。
小さな白い仏塔が見えてた。トゥーパーラーマ・ダーガバである。
石畳がルワンウェリ・サーヤ大塔まで続いている様だ。
スリー・マハー菩提樹からここトゥーパーラーマ・ダーガバまで石畳で繋がっている。歩行者専用である。
どこで靴を脱げばいいにか?分からない。
気付いた時には、大半のスリランカ人は裸足であるが、草履を履いている人もいる。
慌てて靴を脱ぎ手に持った。
 トゥーパーラーマ・ダーガバ


更に北に向かった、民家が続く、遺跡地区内に居住区があるのだ。
見通しもきかず、少し寂しい道が4差路に出た、道標に右クッタム・ポクナ、左サマーディ仏像となっていた。
先にクッタム・ポクナに行った。
沐浴場であったそうだ。 
 クッタム・ポクナ


サマーディ仏像に向かった。
土産物屋が並ぶ道を進むと樹木の下で座っていた担当者にチケットと言われた。
周遊券(各遺跡入場券)を思い出し、提示した。周遊券は、昨日購入したが、今まで必要なかったので驚いて出した。
自転車を置き、靴を預けた。
裸足で歩いていくと木々の中に仏像があった。穏やかな顔の坐像である。
 サマーディ仏像  クリックで拡大


靴の預かり所に戻り、チップRs.20(15円)を渡すともっとくれと言うので追加でRs.20を渡した。
ここは、行き止まりでアバヤギリ大塔への道を聞くと抜け道を教えてくれた。
木々に阻まれてアバヤギリ大塔が見えなかったが、サマーディ仏像と目と鼻の先にアバヤギリ大塔はあった。
アバヤギリ大塔は修理中であった。
工事中の中を一周したが、歩いている基壇もガタガタで、仏塔の茶色いレンガは崩れ、草木が生えていた。
スリランカの仏教は、上座部仏教(南伝仏教、小乗仏教)であるが、ここは、かつてスリランカにもあった大乗仏教の総本山であるそうだ。
大乗仏教の仏塔なので、打ち捨てられていたのか??
平成の大修理でなく、21世紀の大修理をしている感じである。
 アバヤギリ大塔  クリックで拡大


コーラーを飲んで休憩した。
アバヤギリ大塔の南側は、遺跡の宝庫である。木々の中に何かの基壇が残っているだけの遺跡である。
この中を縫う様に小道があり、自転車で走った。
青々した木々の中をゆっくりと遺跡を見ながら走った。


アバヤギリ大塔の西にあるクイーンズ・パビリオンに向かった。
駐車場からの導入路が崩壊状態であった。雨で流失した様である。
 クイーンズ・パビリオン


 クイーンズ・パビリオンの入口にあるムーンストーン
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道路を挟んで反対側にラトゥナ・プラサーダがある。


ラトゥナ・プラサーダ入口にあるガードストーン
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青々した木々の中の小道を当ても無く、遺跡を見ながらペタルを漕いでいると大きな池に出た。
象の池であった。
 象の池と貸し自転車


更に、小道を西に行くと地道に出た。これで遺跡は見終わった様だ。
帰る為に南下した。
途中、小さな白い仏塔があった。
ランカラーマ・ダーガバであった。入らずに外から写真を取っただけだ。
 ランカラーマ・ダーガバ


今日最初の見学先であったトゥーパーラーマ・ダーガバに戻って来た。
次にラワンウェリ・サーヤ大塔、スリー・マハー菩提樹の近くを通り、アヌラーダプラ遺跡地区を後にした。
アヌラーダプラ遺跡巡りをして思ったのは、ホテルスタッフが「Temple巡り」と言っていた様に、スリランカの人々にとっては遺跡ではなく、祈りの対象としてのお寺参りである。
今日のアバヤギリ大塔周辺に残る青々とした木々の中の基壇と石柱が遺跡らしい遺跡で、雰囲気も良くお気に入りだ。

アヌラーダプラのメインストリートを自転車で走った。
渋滞で車は進まない。自転車を降りて歩く。
地図では、銀行、郵便局、スーパーマーケット、レストラン等がこの通りにある事になっているが、銀行以外よく分からない。
銀行に寄り、1万円を両替した。
行内に入り、正面の受付の様なところで「Exchange」と言うと場所を教えてくれた。
そこは両替専用カウンターではないが、1万円札を渡すとRs.13,120になった。
Rs.2,000札、Rs.1,000札、Rs.500札、Rs.100札、Rs.20札といろんな札でくれ便利だ。
空港での両替で2万円がRs.1,000札だけというのは、何だったのか!!!
次に昨日見付けた食堂に入った。
漢字の看板があったので中華レストランかと思っていたが、パン屋兼カレー兼中華であった。
ビールを頼むとビールは無いと言う!!!!! ペットボトルの水を頼んだ。
作り置きした料理をケースに入れていて、指差しで焼き飯と野菜炒め?を注文した。
パサパサの焼き飯は不味い、半分残した。
締めてRs.320(243円)であった。スリランカ人の食堂でも、外国人価格がある様だ。
コロンボ〜アヌラーダプラ間約200kmが、Rs.290に対し焼き飯&野菜炒めがRs.320は高すぎる。

14時前にホテルに戻った。
シャワーを浴び、ポロシャツを水洗いしてバスルームに干した。
ビールを頼み、部屋に持ってきてもらった。
エアコンをつけなくても、ファンで十分だ。
ビールを飲んで寝てしまた。

6時半ごろ、腹が減ってレストランに行った。
東洋人(台湾or中国、韓国)の女子学生?が今日も食事をしていた。2泊目or3泊目?
昨日のカレーが美味く、歯も痛まなかったので、今日もカレーで、野菜カレーを頼んだ。
昨日のカレーとの違いが分からない。そんな事関係なく、美味かった。
スタッフに明日の予定を聞かれ、ミヒンタレーに行くと答えた。
トックトックで行くか?と言われたがバスで行く、どこから乗るのか聞いた。
ニュー・バスターミナルから出ているとの事。
ホテルからニュー・バスターミナルまで、トックトックでRs.150(115円)との事。

20時30分に寝た。日本時間で過ごしている。

 アバヤギリ map クリックで拡大


10月07日 ミヒンタレー日帰り
6時過ぎ起床。
7時前に朝食に行ったが誰もいなかった。
食事が出来るまで、結構待たされるのでいつも本を読んでいる。
それを忘れたので部屋に戻る時、スタッフに会った。
今日の朝食は、私だけの様だ。
2階のレストランから見える大きな木がマンゴであった。青いマンゴが沢山ぶら下がっていた。
高さは、2階から遥か見上げなければならないほどだ。
マンゴ・ツリーかと聞くと、そうだ、5本あると言っていた。
昨日と同じ、トースト、オムレツ、バナナ、そして今日は紅茶にした。

8時過ぎにホテルを出て、流しのトックトックを停めた、新バスターミナルまで運賃を聞くと、Rs.150(115円)で予想価格だったので乗った。
運ちゃんがどこへ行くのか聞いて来たので、ミヒンタレーと答えると、このトックトックでミヒンタレーへ行かないかと誘ってきたが断わった。
新バスターミナルに着くとミヒンタレー行きバス前で停まり、このバスに乗れと教えてくれた。
バスに乗る前に再度ミヒンタレー行きか確認して乗った。
8時半ごろバスは出発したが、旧市街まで20分ほど掛けてゆっくり客を拾いながら走った。
車掌が運賃を取りに来た、ミヒンタレーと言うとチケットに料金を書いて渡された、Rs.25(19円)であった。
旧市街を出て、速度を上げた、20分ほどでミヒンタレーに着いた様だ。
バスの後部にいた車掌を見ると、ここで降りろと目で合図してくれた。
降りて進行方向にロータリーがあった。ミヒンタレー・ジャンクションと言うらしい。
 ミヒンタレー・ジャンクション


ジャンクションを右折して進むと石碑があり、更に歩くと右手の離れた所に古代病院跡が見えた。
次に考古学博物館(工事中)の横を進むと左側に僧院跡に出る。
 僧院跡


僧院跡の先から広い階段が始まる。


階段の両側にはプルメリアの花が咲いていた。


広い階段が終わり、踊り場に出た。
通常は直進するが、右にカンタカ・チェーティヤや石窟への道が続いていた。
前を歩いていた9人の家族連れが、その急な長い階段を登っていた。
私も登った。途中、小さな遺跡跡があり地図で調べたが載っていなかった。
私のその姿を見て、家族連れが、ここは何だ?と聞いてきたが分からないと答えた。
どこから来た? 日本だ。
しばらく、この家族連れと一緒になった。
階段を上がると仏塔があった。狭い所一杯に仏塔があるのでカメラでは全体が写せない。 
 カンタカ・チェーティヤ


大きな岩が見えたので行って見た。巨大な石窟であった。ここからの眺めは絶景である。
 巨大な石窟(アムバスタレー大塔より)


カンタカ・チェーティヤから下った所は駐車場横であった。
ガイドをしようかと誘われた、いつもなら「No, thank you」で済ませるが、英語が理解できないの結構ですと言ったら、日本語の話せるガイドが飛んできた。
その時、家族連れと一緒にシンハ・ポクナと言う遺跡まで来ていた、私は、「No, thank you」と言って離れた。
ガイドは仕方がないので家族連れにシンハ・ポクナの説明をして立ち去った。
私がシンハ・ポクナに戻ると、家族連れの中で1人だけだが英語が話せ、ガイドから聞いたシンハ・ポクナの説明をしてくれた。
水路で水槽に水を貯め、水槽から水を落とし水浴びする。人が立つ位置に動物の石像があった。
 シンハ・ポクナ


私は先に進んだが、彼らは来なくて下って行った。
登って行くと食堂跡や会議場跡があった。
 食堂跡


坂道を上って行くと売店の横に平らな岩にスリランカ最古の文字があった。
 スリランカ最古の文字


靴預かり所があり、靴を預けて裸足で進んだ。
チケット・オフィスがあり、坊さんがいた、入場料Rs.500(380円)を払った。
3日前アヌラーダプラで買った周遊券(Rs.5,750)は、ここでも使用できなかった!!
目の前にアムバスタレー大塔があった。名前に大塔が付いているが小さな白い仏塔である。
 アムバスタレー大塔


アムバスタレー大塔の奥に巨大な岩がそそり立つ様に見える。
インビテーション・ロックである。
 インビテーション・ロック  クリックで拡大


岩の上からの眺めが素晴らしいとの事で登った。
裸足であるが、足裏に砂が付いている為、岩の上を歩くと滑る。手すりを放せない。
岩の上は風が強かったが、眺めは抜群であった。
平らな地に木々と貯水池があり、ミヒンタレーの様な岩山が所どころにあるのがスリランカ北部の風景である。
 木々と貯水池、そして地平線


隣の丘にマハー・サーヤ大塔が見えた。別の丘には大仏も見える。
 マハー・サーヤ大塔  クリックで拡大


インビテーション・ロックから下りて、またマハー・サーヤ大塔まで登るのがきついのであきらめた。
帰る事にして、チケット・オフィスの前を通ると坊さんに呼び止められた。
何かと思い近寄るとジャパニーズ・マネーをくれと言われ、持っていないと言うと変な顔をされた。
海外でたまにあることで、100円硬貨を遣ると、次の日本人に100円を見せ両替を頼む、労せずしてRs.130を手にいれられるという事だ。
靴預かり所でチップRs.20を渡し、靴を履いた。
スリランカ最古の文字のある岩まで戻った時、左手にナーガ・ポクナの道標が見えたので行ってみた。
300mほども歩けば着いた。途中、野猿が目の前にいて恐かったが目を合わさない様にして進んだ。
昔の沐浴場の跡で、岩に彫られたコブラの彫刻が薄っすらと見えた。 
 ナーガ・ポクナ


食堂跡や会議場跡付近に入口への階段があるはずが見当たらない、駐車場に出たので、そのまま道路を下り始めると運ちゃんorガイドがキャンディ・ロードと言って道を間違えていると教えてくれたが、そのまま進んだ。
地図を持っているので大丈夫だ。三角形の2辺を行く遠回りだが、ミヒンラレー・ジャンクションに戻れる。
ダラダラと下って行くとキャンディ・ロードに出た。
キャンディ・ロードとは、スリランカの古都キャンディと最北部を繋ぐ幹線道路である。
キャンディ・ロードをミヒンタレー・ジャンクションに向かった。
途中、道路横に遺跡が見えたり、遠くにマハー・サーヤ大塔が見えた。
 木々の中の遺跡


 マハー・サーヤ大塔


ミヒンタレーは、スリランカで最初に仏教が伝えられたとされる聖地である。
広い階段から始まり、階段の両側にはプルメリアの花が咲く、登って行くと食堂跡、会議場跡など遺跡が残り、上りきると仏塔がある。
階段とプルメリアで思い出したのは、ラオス南部にある世界遺産ワット・プーである。
急な階段の両側にプルメリアが咲き、山の中腹の巨大岩の麓に本堂がある。本堂はヒンズースタイルだが仏像が安置されている。本堂からは、メコン川越しに平原が広がる。
ミヒンタレーが東南アジアの仏教、ヒンズー教の伽藍のモデルになった様に思う。

12時ごろ、ミヒンタレー・ジャンクション横の歩道でバスを待った。
キャンディから来た青年がアヌラーダプラ行きバスはここで待てば良いのかと聞いて来た。
外国人の俺に聞くか? それとも私はスリランカ人と思ったのか?
「多分、ここだろう!」と答えた。
娘さん連れの親子が来て同じ様に待ったので、彼に聞けと振った。
バスが来た。アヌラーダプラ行きか確認して乗った。
車掌がバス代を取りに来た、Rs.13(10円)との事。
往路のバス代は、Rs.25であった。バス代の外国人価格は、2倍の様だ。

30分ほどで新バスターミナルに着いた。
明日、このバスターミナルからポロンナルワに向かうので、バスを確認しておいた。おんぼろバスであった。
ターミナル向かいにある食堂に入った。
ビールはあるかと訪ねると、出て左に行ったらある様な感じだったので行って見た。
しかし、見付からなかった。
良く考えるとスリランカの酒屋?が、どんなのか知らない。ビールがどこで売られているのかも分からない。
あきらめて食堂に戻った。
ぶっ掛けご飯とペットボトルの水を頼んだ。締めてRs.410(310円)。
歯磨きと蚊取り線香が欲しいので売っていそうな店を捜した、薬局の様でシャンプを売っている店に入った。
モスキート・コイル(蚊取り線香)はあった、ツース・ペースト(歯磨き)のベーストが思い出さず、ボディ・ランゲージで試したが、通じなかったのか?、歯磨きが無かったのか?
ひげ剃りは置いてあったが、ひげをはやす事にして買わなかった。

トックトックを拾ってホテルに帰った。13時30分頃であった。
シャワーを浴びて、ビールを飲むと寝てしまった。

18時に夕食に2階のレストランに行った。
スープ、チーズ&トマトサンドイッチとビールを取った。
スタッフが、ポロンナルワ〜シーギリヤ〜ダンブッラ〜キャンディを1泊2日で宿泊費込みUS$300で行かないかと誘って来た。
4泊で回る予定のコースを1泊で行ってしまたら、する事がなくなると断わった。
それでも余った日数はビーチで過ごせばいい、更に料金交渉もしていないのにUS$200まで下げてきた。
ちょっと、しつこい誘いであったが断わった。
スリランカでの外国人の観光スタイルは、車をチャーターし、希望観光地を告げてアレンジしてもらうやり方が多い様だ。
スタッフが今回勧めてきたのもそれである。

20時に寝た。

 ミヒンタレーmap クリックで拡大


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