滞在記 8
  
 滞在記

ハワイ ワイキキ 2010/02/01〜03/04


2月27日 ワイキキ 27日目 津波
6時にサイレンが鳴った。いったい何だ? 火事か? 
2時頃目覚め1時間ほど小説を読んだので、サイレンを聞きながらさらに寝た。
7時過ぎ、起床。いつもの様に、窓のカーテンを開けた。
ガソリンスタンドに車が並び道路に列が出来ている。土曜日の朝は、いつもこうなのか??

朝食に行く為、エレベーター前に行くと日本語の貼り紙がされていた。
内容は、サンディエゴでM7.8の地震が起きた。津波が11時○×分にハワイに来る。津波の大きさは不明。3階以上にいる事を薦める。6時にサイレンが鳴る。
先ほどのサイレンはこれか!

朝食後、ビジネス・センターに行くが全PC使用中であった。こんな時に、持参したPCが接続出来ないとは・・・・・!!!
部屋に戻り、テレビをつける。ハワイの津波特番をしていた。
英語の解説、会話はまったく理解できないが、英文字幕スーパーが出ているので読んだ。
津波が11時に来る。全ビーチは閉鎖。ヒロ国際空港は閉鎖、その他空港は、○×オープン。全大学はキャンセル。・・・・・・
部屋のラナイ(ベランダ)から街の様子を見ると、TheBusは運行している、多くの人が歩いている、普段と変わらない。
再度ビジネス・センターに行く、PCが空いていた。Yahoo Japanで情報を得る。
ハワイ時間、昨夜9時ごろにチリで地震が起きた、ハワイには11時○×分に4.8mの津波が来るとあった。震源地近くの島では大きな津波が発生しているともある。
昨夜は、10時前に寝てしまって、チリの地震の事はまったく知らなかった。遅くまで起きていたとしても、テレビでは気付かなかっただろう。
ワイキキのあるレストランでは、10時まで朝食を出すとある。他に大した情報はない。
日本では時々津波警報が出るが、結果は有っても50cmの津波とか無しとかが多く、狼少年の様である。今回ハワイで4.8mの津波警報となれば、話半分でも2.4mの津波となる。これは大変だ。

9時に、サレンが鳴った。
食料、水を買いに1階のABCストアーに行くが閉まっている。なぜ??
ホテルの外へ出て、カラカウア通りを歩く、店が軒並み閉まっている。大勢の観光客とすれ違う、日本人に店はすべて閉まっていますかと尋ねると閉まっていると返って来た。
それでは何も買えないのでホテルに帰る。途中レストランに長蛇の列があった。

部屋に戻るとベットメイキングが終わっていた、ホテル従業員はまったく通常通りに仕事をしている。
部屋の冷蔵庫には、豆腐と缶ビールしかない、毎日の様に行っていたドン・キホーテに昨日も行っていたら、もう少し食べ物があったのに!
水は0.6Lペットボトル1本しかないので、コーヒーメーカー&コップにも水道水を入れる。バスタブに水がはれないか試したが栓が効かなかった。

部屋のラナイ(ベランダ)から街の様子を見ると、アンバサダ・ホテルの??店に長蛇の列が出来ている。


先ほどはそうではなかったが? 紙袋を提げて出てくる、何かテイクアウト店か??
周りのホテルのナライにも人が出て、海や街の様子を見ている。
先日行ったタンタラスの丘への山道が見え、車がたくさん停まっている様だ。避難か津波見物か?
ホテルやコンドーミニアムの隙間から海が見えるが、海には多くの船が小さく見える、ヨットハーバーのヨットも非難しているのだろう。海上が最も安全らしい。


私のラナイの上階で携帯電話の日本語会話が聞えて来た。「交通が閉鎖される! 今すぐ出ます。」の様な内容であった。
今、10時である。日本帰国便は、私の場合14時前である。上階の日本人の帰国便もおそらくその時刻ごろだろう。通常、空港に向かうのには早過ぎる。
旅行代理店との会話だろう、もう直ぐ交通が遮断されるので直ぐに空港に向かう様に言われたのだろう。この様な時、相談する所があって幸いである。

ペルーのマチュピチュ遺跡への鉄道が土砂崩れで遮断され孤立した時、ヘリコプターで救出される順番が最も遅かったのは、バックパッカーの様な個人旅行者であった。頼るべき所がないからだろう。ツアー客であれば旅行代理店が名簿などを提出してフォローするだろう。

交通量が減って来た、いつの間にかTheBusの運行が停まっていた。
スーツケースをゴロゴロと転がす旅行者が歩道を歩く、交通手段を無くして路頭に迷っている様だ。
10時30分、またサイレンが鳴る。
10時35分、パトカー6台がサイレンを鳴らして、カラカウア通りを走る。観光客に非難を促している様だ。
一般車両は通行していない。


10時40分、アンバサダ・ホテルの??店Close
10時50分、パトカーが「キャッシュキャッシュ」と言いながらカラカウア通りを行く。
スーツケースをゴロゴロと転がす旅行者がパトカーを止め話している。彼女らも路頭に迷っている日本人の様だ。当然パトカーは何もしてくれない。

こんな時、こんな時間帯にチェックアウトする客にホテル側は何も説明しないのだろうか??
フロントで質問や空港へのタクシー依頼等すれば、対応するかも知れないが?
私も、津波が来る事は知ったとして、交通閉鎖までは想像もしないので、早めの10時ごろチェックアウトし、TheBusのバス停で空港行きバスを待ち、バスが来ないので、その時、はじめてバスの運休を知るのが関の山だろう。私も路頭に迷う!!!

部屋のラナイから僅かに見える海を見たり、テレビの特番を見たりした。特番では、アラモアナ・ビーチとハワイ島を映し出している。
ハワイ島の方が津波到着時刻が早いので、ハワイ島の様子を映し出しているが津波は一行に来ない。
予定時刻を1時間過ぎても津波は来なかった。
まだ、交通規制が解除されていない。

豆腐でビールを飲んだ、小説を読んでいる間に、いつしか寝てしまった。
1時過ぎ目覚めた、ラナイから街の様子を見る、交通量は少ないが人は歩いている。
津波警報は解除されたのか? そんな雰囲気ではない。
2時半ごろカラカウア通りを歩くが店はまだ開いていない。大勢の人は、する事も無く歩いている。
お腹がすいた。
3時半ごろホテル1階のABCストアーがオープンしていたので、カラカウア通りを歩くと、店がオープンし始めていた。
ABCストアーが真っ先にオープンした様だ、すれ違った若い日本人がさすがABCストアーと言っていた。
ラーメンの「えぞ菊」が開いていたので入った。
味噌ラーメン+焼き飯+餃子セットを頼んだ。
昼食兼夕食になった。

夜、テレビで津波特集を見た。
地元の人は今日の早朝から津波に対する備えを始めた様だ、スーパーマーケットで買出しをしている風景を映していた。
海を見渡せる高台に避難or津波見物で大勢の人が来ていた。
やはり津波は来ていた。ただし50cmほどの高さでハワイ島の河口を逆流する様子を映し出していた。

2月28日 ワイキキ 28日目 
天気が悪い、雨が降っている。風もある。
今日でTheBusのマンスリー・パスの有効期間が切れる、最後のTheBusドライブをする事にした。
10時ごろホテルを出てバス停でバスを待つが、2台が満杯で通過して行った。
待っている人数が多く、降車する人がいないと通過して行く。
歩く事にした。2バス停歩くとバスが停まり、バスに乗ってアラモアナSCに向かった。
ホテル前バス停から先のバス停も、バス待ち客で溢れていた、なぜだろう?
昨日の津波警報でTheBusが運休していたので、その影響か?
東海岸行きRoute55バスの待ち時間があったのでアラモアナS.C.に入ると舞台で子供がフラダンスを踊っていた。


12時30分頃発Route55バスで東海岸に向かった。3日前東海岸のクアロア・パークまでは行ったが、その奥にはまだ行っていない。
クアロアから30分ほどでポリネシアン・カルチャー・センターに着いた。天気が悪く、雨が降ったり止んだりである。
海岸沿いに道路が走り、自然がいっぱい残っていた。
オアフ島で唯一、周りに住宅も少なく自然が残り、売店も何にも無いビーチ・パークが数ヶ所ある。
ポリネシアン・カルチャー・センターは、今日は休みであった。
駐車場はガラーンとし、雨が降り、寂しい雰囲気であった。
ポリネシアン・カルチャー・センターからカフクまですぐであった。
カフクは屋台エビプレートランチで知られ、エビ屋台のワゴン車が点在していた。天気の悪い今日でも、エビ屋台だけは人が多かった。
カメハメハ・ハイウェイはカフクを過ぎると海岸から離れて行く、右側にゴルフ場が現れるとオアフ島最北端のタートル・ベイ・リゾートがもう直ぐである。
タートル・ベイ・リゾートの駐車場内のバス停に着いた。アラモアナS.C.から約2時間であった。
このバスは、Route55からRoute52と名前を変え、ノースショア&中央部を通ってアラモアナS.C.に戻る。
運転手が休憩の為降りて行ったので、私もタートル・ベイ・リゾートに行って見た。
18年前にもここには来たが、今日は天気が悪く、客も少なく寂しいリゾートであった。
ノースショア側の海は荒れていた。


15分でバス停に戻った、バスはすでに出てしまったか心配していたが、バスはまだ停車していた。
運転手が帰って来て、アラモアナS.C.に向かった。

ダウンタウンでバスを降り、ワイキキ行きに乗り換えた。
ドン・キホーテに寄り夕食の買出しをしてホテルに帰った。今日も昼食を食べ損ねた。

3月01日 ワイキキ 29日目 
ワイキキ滞在も残り2日となった。
オアフ島で観光する所はまだまだあると思うが、観光疲れもあり、もうオアフ島でどうしても行っておきたい所も無い。
それでテニスをして過ごす事にした。

11時前ホテルを出て、歩いてアラモアナ・テニスコートを目指した。
パソコンをディバックに入れているので少し重い。
アラモアナS.C.&付近に無料の無線LANホットスポットがあるので帰りにトライする為である。
ワイキキ・ゲートウェイ・ホテルから20分ほどでアラモアナS.C.が見えて来たが、それを通り越してアラモアナ・テニスコートまで40分掛かってしまった。
壁打ちをした、横でダブルをしていたグループも12時ごろには帰って行った。
誰もいないコートに入り、サーブの練習をした。
ボールは3コしかないので、3回サーブをして反対側に行き、3回サーブをしたら、また・・・・繰り返した。
アジア系の女性が1人来て壁打ちをしだした。初心者だろう、誰もいない時間帯を選んで来ている様だ。

壁打ち、そしてサーブ練習を1時間ほどした後、食事と無線LANホットスポットを探しにワードセンターに行った。
テニスコートの近く、歩いて10分ほどにワードセンターがあり、○×△カフェーが無料で無線LANが使えるとの事で行って見たが見付からなかった。
ワード・センター東端にあるサチュラ・ケーキと言うケーキ屋さんがあり、そこのテーブル上にパソコンを置いている客が数人した。有料or無料か不明だが無線LANを利用している様だ。
サンドイッチやハンバーガーでもあれば入るのだが、ケーキ屋さんでは甘過ぎる。
その3軒隣にタコ・デル・マーと言うタコス&メキシカンの店があり、同じ様にテーブルでパソコンを使っていたので入った。
タコスを頼んでテーブルに付き、パソコンを立ち上げ無線LANに接続すると無線LANアクセス・サービス事業者のホームページが開いた。
クレジットカード決済の有料無線LANであったので無視、パソコンを閉じた。
タコスを食べるのはメキシコ旅行以来である、指差しで具を注文したのでよく分からないが大変あっさりした感じのタコスで美味しかった。

アラモアナ・テニスコートに戻り、コート内でサーブ練習を再開した。
14時過ぎから壁打ちに来る人が現われ、その中から上手そうな人に打ちませんかと声を掛けた。
俺かと言う感じであったが快く承諾してくれた。
ストロークを打った後、シングルスをした。サーブ練習の効果か? 前半はリードしたが、後半で逆転され負けた。
テニスの後、相手が名乗って来たので私も名前を告げて挨拶した。
テニスに誘った時に私から挨拶しなければならなかったのであるが・・・!。
ツーリストかと聞かれ、そうだ、ワイキキに1ヶ月滞在していると答えた。
ここのテニスコートにはよく来るのか尋ねると、たまに来ると言っていた。
いろいろ話したが、彼の英語は聞き取り易かった。
礼を言って私は帰った。

アラモアナS.C.に歩いて行った。
フードコートに無料の無線LANホットスポットがあるとの事で試して見たが、ワードセンターと同じで、無線LANアクセス・サービス事業者のホームページが開いた。ここも有料で意外と料金が高い。

夜もワイキキのハイアット・ショップスで、無料の無線LANホットスポットを試してがやはり無かった。
Webサイトに載っている情報が古いのか無料の無線LANホットスポットは無かった。
今日は無線LANホットスポットの調査の様になってしまった。
結果は、無線LANアクセス・サービス事業者がたくさんあり有料で提供するのが主流の様だ。
ただし、25日まで宿泊したエバ・ホテル・ワイキキのあるエリアはShakaNetが無料の無線LANを提供している。

3月02日 ワイキキ 30日目 
今日もアラモアナ・テニスコートでテニスをしょうと9時にホテルを出た。
トロリーのピンクラインがJCBカードで乗れるので待つ積もりでいたが、また歩いてしまった。
徒歩40分掛けてアラモアナ・テニスコートに着いた。
壁打ちをしていると、英語で話し掛けられた。
このおっさんの英語まったく聞き取れない。必死で単語を聞き取ろうとしても解らない。
でも、「打ちませんか」しかないのでOKして、コートに入った。
ストローク、ボレーと練習が進み、ショートラリー練習も終わり、休憩にした。
ショートラリーは、テイクバックを小さくして打てと英語で言っている。英語は解らないがジェスチャーで分かった。そんな事は知っている!!とは言わなかった
バックに打つとよくミスをするあなたに言われたくない。
彼は、どうも教え魔の様だ。
スマッシュ練習もした。彼は一通り練習する様だ。
隣コートの日系グループがダブルスを誘って来た。
彼がOKしたので隣コートに移るとリーダーの色黒の女性が挨拶して来た。
私も名乗った途端、「え!日本人か!」と言われてしまった。
「日本人で悪かったな!」と突っ込みそうになった!!!
たまに、海外でこんな嫌味な日本人に会う。
ダブルスを30分ほどして終わった。

アラモアナS.C.のフードコートの浪速屋 ラーメンで冷やし中華を食べた。
スタッフに顔を覚えられたのか? 
日に焼けましたね! ゴルフですか? と声を掛けられた。
昼食を取った後、歩いてホテルまで帰った。
ビールを飲んで小説を読んでいると寝てしまった。
2時間ほど昼寝をした様だ。

夕方、フォート・デルッシー(アメリカ陸軍保養地)・ビーチに夕日を見に行った。


ワイキキ滞在が2週間を過ぎた頃から夕日を見に行く様になったが、もっと早く気が付いていればと悔やむ。
一つとして同じ夕日がなく、毎日違った綺麗な夕日が見られる。

夜のカラカウア通りを一度も歩いていないので行って見た。
人出は多いが歩道が昔より広くなっているので余裕があり、大道芸や絵描が出ていた。
昔、金髪でグラマラスなストリートガールが目だったが、今はいなかった。
18年前宿泊したワイキキ・ビーチコマーに行って見た。
長いエスカレーターで上がり、降りた所に昔はバーがあった。
歌声喫茶でなく歌声バーがあり、マイタイを飲みながら歌を聞いた覚えがある。
そこが今はサーフィン・ミュージアムになっていた。レストラン&バーでもあったがガラガラであった。
昔ビーチコマーの近くには映画館 2館やレンタカー事務所もあったが、今は、ファーストフード、土産物屋(ショップ)、ABCストアーとホテルに特化されている。
ワイキキがその様に特化された町になっている。

ワイキキ最後の夜を昔の記憶をたどりながらカラカウア通りを歩いた。

3月03日 ワイキキ 31日目 
今日は帰国する日である。
荷物の整理した、ハワイで買ったTシャツ、ポロシャツ、そして捨てて帰る積もりだったテニスラケットだけを持って帰る事にした。
バックパックをパッキングした後、テニスラケットを細引き紐でバックパックの背負部に括り付けた。
11時前にチェックアウトした。LANケーブルを返却して終わりである。
ホテル前のバス停からTheBusの空港行きRoute20バスに乗った。
バスが混雑していない事を願っていたが、願いが適った様だ。
バスへの大きな荷物の持ち込みは駄目で、膝の上に載せられる程度が限界らしい。
幸い私のバックパックは小さいので膝の上に載る。それでも混雑していなければ、気を使う事無く座席に置ける。
でも、若いバックパカーは大きなバックパックを持ち込み座席の下に押し込んだ。慣れたものだ。
1時間ほどでホノルル空港に着き、下車した。
しかし、国内線ターミナルで降りてしまった、職員にJALカウンターを聞き、指示された方に行くと、来た時に見た国際線ターミナルがあった。
スーツケースが一杯並んでいた、ツアー客のだろう。
空港職員orツアースタッフがいたので、JALカウンターがどこにあるのか聞いた。まだ先の様だ。
JALマークを見付けた、チェックインカウンターには、2組しか並んでいなかった。
テニスラケットを括り付けたバックパックを預けチェックインは終わり、パスポートと搭乗券を受取った。
パスポートに挟んであった出国カードが無くなっていた、米国では、出国審査が無い事を思い出した。
手荷物検査を終え、搭乗時間まで時間があったのでIASS EXECUTIVE LOUNGEを探した。
IASS EXECUTIVE LOUNGEは、クレジットカードで入れる無料ラウンジで1階にあった。
コーヒーを頼み、無線LANのパスワードを聞いた。
持参したパソコンにパスワードを入力してインターネットに接続しようとしたが駄目だった。
ラウンジのパソコンでもインターネットが開かなかった。
あきらめて小説を読んだ。
搭乗時間も近付いたので、ぶらぶらしながらゲートに向かった。




14時過ぎ、JALジャンボ機JO077は関空に向かって離陸した。
機内では映画を見て過ごした。
関空には、日付変更線を越えたので3月4日の18時頃に着いた。
31日間のワイキキ滞在後、無事に日本に帰国した。

感想
18年前に2年連続ワイキキに行った、その後、海外旅行でどこが1番良かったとよく質問されるがいつもハワイと答えていた。
ホテルや店舗の前に植込みがあり、植込み越しに歩道からホテルや店舗が見え、庭園の中のカラカウア通りであった様に思う。
庭園の様に綺麗なワイキキの街にビーチがある、その様なイメージであった。
それが、今は植込みが無くなり、そこに歩道のタイルが張られて、タバコの吸殻は落ちていたりして汚い。
緑が少なくなり、歩道の幅が2倍になった様に感じた。庭園の中のカラカウア通りはどこへ行った!!!
17年間の間に庭園の様に綺麗なワイキキのイメージを膨らませ過ぎたのか??
ワイキキだけが変わったのではない、私も齢をかさねたからか?

滞在先について
今回、ワイキキでホテル滞在した。
ホテル滞在が一番ストレスも掛からないと思う。ただし「Please Don’t Disturb」の札をドアに掛け忘れるとベットメイキングの為ノックされ、ゆっくりできない。
バスタオルが2セット置いてあるので2日に1度、ベットメイキングと掃除をしてもらう様に「Please Don’t Disturb」をドアに掛けコントロールしていた。
暮らす様に過ごすには、ワイキキに滞在する必要はない。
ワイキキ以外であればベッドと朝食を提供するB&B(ベッド&ブレックファスト)やレンタルハウス(別荘)がある。
私が利用できそうなのはB&Bだろう。リーズナブルなB&Bもある。

食事について
スーパーマーケットには、日本食材が豊富にあり、日本食だけで暮らそうと思えば可能である。
各種お惣菜、刺身、豆腐、納豆、寿司、弁当など出来合いの物を買って帰れば、ホテルで食事が出来る。
日本でも独身者はそうしているだろう。
ハワイには、プレートランチがあり、日本の定食(Aランチ、Bランチ)の様な物である。
各国のプレートランチが食べられる。量が多いので、2人で分け、あとは缶ビールを飲めばちょうど良い量になる。

滞在費の支払い方法について
ハワイに行く前にインターネットで調べた結果、優先順位(1)クレッジトカード払い(2)日本国内でUS$に両替したUS$現金持参(3)クレジットカードのキャッシングを推奨していた。
実践した結果 (手数料=換算レート/為替中値−1)


クレジットカードは手軽に使え、スーパーでの買い物や$10以下の少額でも平気で使え、最も手数料が少ない。
でも、ABCストアーでUS$3の支払いで嫌な顔をされた事が1度ある。
小額の支払いには自己規制を掛けてしまい現金支払いになった。
比率は、クレジットカード支払い:現金支払い=US$305:US$460

家計簿
1ヶ月滞在の今回ハワイと昨年プーケット(タイ)の家計簿が下記である。


ハワイでの宿泊費が極端に高いのが目立つ。しかし、日本食材は日本と変わらないか安い。ファーストフードや弁当は、低価格戦略orデフレで日本の方が安い様だ。

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