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インド 2011/09/13〜10/06
クリックで拡大 タージ・マハル 3時過ぎに周りが騒々しくなり、列車のベッドの中で目覚めた。 ベッドであぐらを組んで座り、しばらく目をつぶっていた。5時間しか寝れなかった。 3時30分にセットした携帯電話のアラームをOFFにした。 間もなく、列車が停まった。 騒がしい中学生?が荷物を持って通路を移動していた、アグラか?と聞くとそうだと言う。 3時30分だ、20分早く、アグラに着いた。 荷物をまとめ、私も下車した。ホームでアグラか再度確認した。 まだ朝早過ぎるので待合室で1時間ほど時間を潰す事にした。 アグラ CANTT駅 待合室 ホテルのチェックイン時間は何時からか? 今回のインドで最も早くチェックインしたのは8時30分ごろである。バンコクでは6時過ぎにチェックインした事がある。 ここで言うチェックインとは、1泊分の宿泊費で済むチェックイン時間の事であり、ホテルとは、安いホテルやゲストハウスである。 3日前に泊まっていたホテルは、24時間制であった。チェックインした時間から、滞在が24時間以内であれば1泊で、24時間を過ぎると2泊目になる。 ツーリスツ・レストハウスTourists Rest Houseで宿泊予定にしている。このホテルのチェックインが何時から可能か? 5時ごろ、アグラ CANTT駅からオートリクシャーでホテルに向った。 ホテル前にオートリクシャーが停まり、警備員が居た。警備員がフロントを起してくれた。 部屋が空いているか聞き、部屋を見た。ファン、水シャワー、バスタオル、石鹸、トイレットペーパー付きでRs500(880円)との事で、レストランもあるので泊まる事にした。 5時30分頃のチェックインであるが1泊分で済んだ、2泊分のRs1,000を支払った。 タージ・マハルでの日の出を見る為に宿泊者の西欧人夫婦が出掛けていった。 その為に、ホテル前に早朝にもかかわらずオートリクシャーが停まっていたのか。 シャワーを浴びて、少し寝ようとしたが眠れずベッドで横になっていた。 今日は、世界遺産のタージ・マハルとアーグラ城塞に行くだけなのでゆっくりした。 8時ごろ、レストランに行った。建物に囲まれた中庭にテーブルを並べ、雰囲気の良いレストランにしている。 ここにもオムレツが無かった、チーズサンドイッチとコーヒーにした。 9時過ぎにホテル前のオートリクシャーにタージ・マハルまで運賃を聞くとRs50(90円)との事、運賃交渉をしようとすると取り合ってくれない。 アグラ CANTT駅からこのホテルまでもRs50であり、アグラ市街は外国人価格がRs50のようだ。 仕方なくオートリクシャーでタージ・マハルに向った。 10分ほどで着き、この道を行けと降ろされた。 ここはいったいタージ・マハルのどの辺りか? 運ちゃんに言われた通りを進むと西門に出た。 西門 西門を正面に見て、手前50mほどの左にチケット売り場があった。 外国人用窓口は数人しか並んでいなかった。 入場券Rs250+ADA券Rs500、締めてRs750(1,320円)を支払った。 外国人を誘導している男がいて従うとペットボトル水と靴入れ用ビニール袋がもらえた。 男はガイドであった。ガイドは断わった。 西門には長蛇の列が出来ていた。持ち物検査か? 私も列に並び、進んで行った、カメラだけを首からさげていたので検査は素通りできた。 西門を進むと正門が見えて来た。 正門を見て、きれいで大きいので凄いなと思った。 正門 正門をくぐるとタージ・マハルが見えた。 タージ・マハルは初めて見るが、何故か見慣れた風景の様に錯覚する。 写真やテレビでよく見るからだろう。感動も驚きも感じなかった。 タージ・マハル クリックで拡大 タージ・マハルの正面を行かずに東側の庭園を進んだ。 左右対称に見え無いタージ・マハルが新鮮で良い。 白亜の霊廟は、高さ7mの基壇の上に載せられたドームのある墓廟(マウソレウム)と4本の尖塔(ミナレット)からなる。 白亜の霊廟の西にモスクがあり、東に迎賓館がある。 高さ2mほどの基壇の上に霊廟、モスクと迎賓館が載っている。 この高さ2mの基壇に上がる手前に下駄箱が並んでいた。 インド人達はここで裸足になっていた。 私はチケット売場で貰った靴入れ用ビニール袋を出した、それは靴入れではなく使い捨てシューズカバーであった。 私の靴にシューズカバーを取り付け、基壇に上がった。 東南アジアを歩いていると、寺院や聖なる地では裸足であがり土足厳禁である、更に服装にも気を付けなければならない。 しかし、ここ白亜の霊廟では靴にカバーは着けているが靴を履いた足で歩いて良いという事だ、 違和感を感じた。 スリランカやミャンマーの寺院や聖地で、日に焼けた石の上を、足裏を火傷しそうになりながら歩いた。火傷しない様に上履きを履いても、シューズカバーを取り付けても言い訳ではない。 白亜の霊廟 東西南北の4方向から左右対称 霊廟内に入れる。石棺が安置されているドーム下の部屋にも入れ、出入口が狭く大変混雑していた。 石棺の部屋での写真撮影は禁止だと係員が叫んでいるが、インド人達はお構いなしにフラッシュを焚いて写真を撮っていた。 霊廟の北側にはヤムナー河が流れ、西を見るとアーグラ城が見えた。 アーグラ城 樹の下のベンチに座り、シューズカバーを取り外した。 疲れたのでそのままベンチで休憩した。 白亜の霊廟を見ていると韓国人男性4人が来た、下駄箱にも寄らず、ベンチでシューズカバーを取り付けるでもなく基壇に上がって行った。彼らは土足か??? 西側の庭園を正門に向った。 正門を抜け、12時前ごろに南門から出た。 南門の外はバックパッカー向けのゲストハウスとレストレンが並ぶエリアである。 タージ・マハルが見えるゲストハウスというのがあり、このエリアで宿泊しようかと思ったがインドのゲストハウスは避けたかったのでやめ、アグラ駅とタージ・マハルの中間にある静かなツーリスツ・レストハウスにしたのだ。 変わりにタージ・マハルが見えるゲストハウスの屋上レストランに行くべく、このエリアに来た。 カマサとサニア・パレスに屋上レストランがあるので、メモって来たが、場所はどこにあるのか? 適当に歩いたが見付からない、客引きに聞くと日本語で「おいしくない」と言ってきた。 嗜好には個人差があるので嘘では無いとしよう! どこにある?と尋ねると、この通りを行くとあるとの事であった。 すぐにサニア・パレスの看板が見付かり、ルーフ・トップと読めるアーチをくぐった。 進むとスタッフが居て、指で上を指しレストランと言うと、案内してくれた。 メニューを見ているとビールがあると言ってくれた、ビールがあるのなら焼きそばである。 ビールとチキン焼きそばを頼んだ。 レストランでビールがあると、くじで大当たりに当たった気分である。 カメラでタージ・マハルを撮ろうとすると小さな展望台があると指差しされた。 タージ・マハルを眺望 クリックで拡大 タージ・マハルが見える屋上レストランを知ったのは、お笑い芸人のインド旅行をテレビ番組で見たのがきっかけである。 タージ・マハルに行く事があれが、ぜひ行こうと思っていたが実現するとは思っていなかった。 次に世界遺産アーグラ城塞に向った。 タージ・マハル西門を西に歩いた。 オートリクシャーやリクシャーに声を掛けられたが無視をした。 アーグラ城までにタージ・マハルを眺めるビューポイントがある事を期待して歩いた。 なぜかラクダが客車を引く。 警備している風には見えない彼らの前を通ると、何か話しかけてきた。 私は、手をマシンガンにしてダダダ・・・と撃つまねをすると、彼らは撃たれる真似をした。 インド人も大阪人ののりと同じであった。 公園の中を歩いている様で、樹木が茂り見通しが悪い、期待したタージ・マハルは見えなかった。 タージ・マハルの西門から40分ほどでアーグラ城アマル・スィン門に着いた。 駐車場前の屋台でコーラーを買おうとして、値段を聞くとRs100との事。 「高い!」と立ち去るとコーラーを持って追いかけて来てRs70と言うが無視した。 アーグラ城アマル・スィン門 クリックで拡大 チケットを買い入ると長蛇の列が出来ていた。 それに並んでいると横は入りがひどい、横は入りしてきた奴の足を踏んだ、奴は足を引き抜いた、私はまた足を踏んでやった。足を抜く、更に足を踏む。あまりしつこいと喧嘩になるのでやめた。私は段々意地悪爺さんになっていく様だ。 頭に来たので列を抜け、前に進みチケットを見せて中に入った。誰も何も言われなかった。 宮殿が並び、中庭がきれいであった。 ヤムナー河沿いからタージ・マハルが見えた。 タージ・マハルを望む クリックで拡大 愛妃のために造った豪華な墓 タージ・マハル。ヤムナー河対岸に自分の墓を造ろうとして息子に幽閉された塔が「囚われの塔」と言われアーグラ城にある。 囚われの塔 クリックで拡大 アマル・スィン門からホテルまでオートリクシャーに乗った。やはり運賃はRs50であった。 すぐに着いた。30分ほどで歩ける距離であった。 15時前になっていた。 シャワーを浴びて部屋でゆっくりした。 夕方、このホテルにはビールを置いていないので、ビールを捜して近所をぶらぶら歩いた。 付近は住宅街で酒場は無かった、冷房レストランと言うのがあり、覗いてみてビールがあるか聞くと有るとは言わなかったが有る様だ。 奥のテーブルに案内された、ビールは買いに行くと言っていた。 インド料理で新しくビルヤーニーをチャレンジしようとチキン・ビルヤーニーを頼んだ。 新聞紙で包まれたビールが来た、透けていないコップにビールを注ぎ、ビール瓶はテーブルの下床に置いた。 チキン・ビルヤーニーとは、スパイスの効いたチキン入り炊き込みご飯であった。あまりうまくなかった。 23時、就寝。 アーグラmap クリックで拡大
10月02日 アーグラ滞在 クリックで拡大 フマユーン廟 今日は、ニューデリーに列車で行き、23時10分発の飛行機でバンコクに向かう。 朝食が何時から取れるのか聞くと7時との事で駅で食べる事にして、7時にチェックアウトしてアグラ・カント駅に向かった。 アグラ・カント駅 駅にファーストフード店の様な店があったので入った。 コーヒーがあるか?と聞くとあるとの事、1つ頼むと、ここには無いと言う??? 1番ホームの売店にある様なので買いに行った。 UP州政府観光局の観光案内所も1番ホームにあった。 8時38分発の列車に乗るのだが、まだ1時間以上ある。テーブルに座りコーヒーを飲みながら小説を読んだ。 15分前に電光掲示板でプラット・ホームNo.を確認して5番ホームに行った。 一番奥が5番ホームであった。乗客がほとんどいなくて、3両ほどの客車が止まっているだけだ?? これでは列車が入ってこれない。おかしいので客車にいた職員にチケットを見せて、このプラットホームか?と尋ねると、アナウンスでニューデリー行きは3番ホームと言っていたと教えてくれた。 3番ホームに行くと列車が停まっていた。列車No.を確認していると列車が動き出した、一瞬躊躇したが乗り込んだ。 私の座席クラスがエアコン3等であったので、その車両を捜す為、進行方向or後方向のどちらに行けばいいのか??? 適当に進行方向に行って見た。 車掌ではないが列車の関係者らしい4人がいたのでチケットを見せて、車両はどこだ?と聞いた。 若いのがチケットを見て、ニューデリーには行かないと言いだした。車両どころでなくなった。 どこ行きか?聞くと地名を言われたが私には分からない。 列車に乗る時、ニューデリー方向に列車が動いたのでその方向だと思うが、それから確認した。 彼らは英語が話せない、若者がいろいろ話してくれるがまったく分からない。 ガイドブックの地図にアグラとニューデリー間でマトゥラー駅があり、マトゥラーと尋ねると行くらしい、30分、1時間と聞くと1時間で着くようだ。 ニューデリー方向に行く列車に間違いないようだ。 リーダー格の年配者が「ニューデリーまでタクシーで行けばいい!」と言っている????? 若者が年配者に指示されて私を座席に案内した。 空いている座席が無かったので、出入り口横の補助席を空けてくれた。おっさんが座っていたのに退かしたのだ。 若者は私のガイドブックの地図を見て捜していた。この列車がどこまで行くのかを私に教えたかったのだろう。見付からなかった。 私は座って彼らが言っていた内容を再考した。 「ニューデリーには行かない!」という一言で、反対方向に行っているのか?とパニックになりかけた。 しかし、この列車がニューデリーの手前までで、そこからタクシーで行ける事が理解できた。 Webから急行の時刻表をコピーしていたので、それを見るとニューデリーの手前の駅がH.Nizamuddinとなっていた。また、デリー中心地mapの端っこにH.Nizamuddinが辛うじて載っていた。 近くに座っている乗客に、「この列車はH.Nizamuddin行きか?」と聞くと「Yes!」と返ってきた。 これで1軒落着である。ゆっくり、車窓を見て過ごした。 12時30分ごろ、H.Nizamuddin駅に着いた。 駅前にオートリクシャーが多数 半端な数でないが5列縦列駐車していた。 ハズラト・ニザームッディーンHazrat Nizamuddin駅は大きな駅であった。 インド南部への列車の発着は、H.Nizamuddin駅である事が多いとの事。 地図でHazrat Nizamuddin駅から直線距離にして500mほどに世界遺産 フマユーン廟があったので行く事にした。 オートリクシャーに運賃を聞くとRs100と言う、話にならない、Rs20と言うと相手にされなかった。 近過ぎて嫌がっている様だ、ここで待てばもっと上客が拾えると考えている様だ。 歩いた、30分ほど掛かった。入口横にチケット売り場があり、外国人が並んでいる列に並んだ。 Rs500札を出してチケットを買おうとすると、日本語で「つり銭が無い!」と言われた、いくらか?と聞くとRs250との事でRs300を払ってチケットと釣りを受け取った。 入口を入り、警備員にバックパックを預かってくれと頼んだ。 真直ぐ進むと西門があり、西門を通ると庭園の中に廟が見えた。 西門 フマユーン廟 庭園の真中に左右対称の廟がある。後のタージ・マハルに影響を与えたそうだ。 タージ・マハルに比べれば小さいので40分ほどで見終わってしまった。 バックパックを受け取って出たのが14時30分ごろであった。 国立博物館orガーンディー記念博物館に行こうと思ったが月曜日は、残念ながら休館であった。 ニューデリー駅前の安宿街に行って日本食を食べる事にした。 フマユーン廟前のロータリーでオートリクシャーを停めて値段を聞くとRs100(180円)であった。 ニューデリー駅に向った、途中インド門が見えるかと思ったが通らなかった。 30分ほどでニューデリー駅前のメイン・バザールに着いた。 メイン・バザールを真直ぐ進み、三叉路になっているところの3階にあるカフェに入った。 眺めの良いカフェで日本語の話せるマスターがいた。 日本食のざるそば、オムライスがあったが、バンコクまで辛抱してスパゲティーにした。当然、ビールも頼んだ。 スパゲティーは、期待外れであった。このカフェは西欧人客は少ないのか? このスパゲティーでは西欧人は集まらない??? 23時の飛行機にまだ早いが空港に向かう事にした。 ニューデリー駅東側(裏側)にエアポートメトロのニューデリー駅がある。 ニューデリー駅 ニューデリー駅の南側陸橋を行くと駅東側(裏側)に出るので陸橋を通ろうとすると整備員に停められた。 チケット検札の様であった、メトロに行きたいと話すと通してくれた。 陸橋を渡り、適当に進むとメトロへの入口が見付かった。 手荷物検査をして、チケット売場に並ぶ、空港までRs80(140円)であった。 エアポートメトロはホームも電車も真新しい。(今年の2月に開通したそうです。) 電車は郊外に出ると地上の高架を走った。 暗くなる前にインディラー・ガーンディー国際空港に着いた。20分ほどで着く。 エアアジアのチェックイン・カウンターの場所を確認した。 バックパックが重たいのでカートを捜した。見付からない、案内所で聞くと出国ゲート付近にあるとの事であった。 カートを押して出発フロアをぶらぶらした。時間をつぶす為の場所がないか捜した。 カフェがあったが混雑していた。他にコーヒースタンドが有るだけだ。 出国ゲート付近でカートを押していると女性の職員にどうかしたのか?と言われ、日本語で「ぶらぶら!」と言うとぶらぶらと復唱された。私は散歩と英語で言った。 インディラー・ガーンディー国際空港 出発フロア 出発の3時間前にチェックインが開始されるので20時までベンチで小説を読んで時間を潰した。 20時に電光掲示板(出発フライト情報モニター)でチェックインがOPENになっているのを確認して向った。 エアアジアのバンコク行きチェックイン・カウンターは、すいていた。 プリントアウトしたeチケットとパスポートを渡した、タイ出国用エアチケットの提示を求められた。 タイの入国審査場でも求められた事の無い出国用チケット提示をインドの空港で求めらるとは驚いた!!!! 持ってないと話すと、職員が何か話し合っていた。 厄介な事にならない様にと職員が話す前に「いつも、問題ない。バンコクでチケットを買う」と話し、事無きを得た。 片道チケットでは、各国で相手国の出国用チケットを持っているか確認される事があるとは聞いていたが、今回が初めての経験であった。 出国カードと機内持ち込み手荷物に付けるタグ2枚を受け取った。 手荷物はバックパックだけなのでタグは1枚であるが何故2枚だと尋ねると、首に掛けているカメラに取り付けと言われた。嫌味か? 読み終わった小説を捨てたのでカメラだけを抜けばバックパックの重量が7kg以下になる。それで首からカメラを吊り下げていた。 考えて見るとチェックインが終わったのだから、2バックにすればいいのだ。 バックパックからディバックを出し、ディバックにカメラを入れた。そしてバックパックとディバックにそれぞれタグを付けた。 出国カードに必要事項を記入して、出国審査を受けた。 セキュリティチェックを受け、荷物タグにスタンプを押された。 搭乗時間まで2時間ほどあるので、レストランでビールを飲む事にした。 メニューでチキン・サンドイッチとビールを選んだ。 ビールRs200(350円)と空港は市中よりRs40ほど高いと思っていると出されたビールが小瓶でありビックリであった。 出国する時は、その国の通貨を残さない様にするが、今回は失敗して多くのルピーが残ってしまった。 インドにはもう来ないだろう。インド・ルピーはネパールで使えるので余ったルピーはネパールで使おうと考えていたが、小瓶のビールでは、2時間で何本飲めるか? 気にしないで飲んだ。 23時10分発エアアジアバンコク行きは遅れて出発した。
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